ゆるふわの長いブラウンヘアを丹念に梳かし、わたしは高校に向かった。

 10年経った校舎は、つい数時間前に見ていた校舎よりも壁の黒ずみが目立ち、時の流れを実感せずにはいられない。別世界に迷い込んだようななんとも不思議な感覚だ。

 ──そういえば綾木くんはどうしているだろう。
 不意に大好きな彼のことが頭に浮かんだ。
 おそらく今26歳。早ければ結婚をして新たな家族がいてもおかしくない歳だ。家族には縁がなかったから余計、彼は新しい家族を望むはずだ。

「家族、かあ……」

 幸か不幸か生まれ変わったとはいえ、一度この世界から切り離された自分に、それを惜しむ権利はない。

「くよくよしないで、梅子」

 自分の気持ちを叱咤し、来客用のスリッパを履いて職員室を覗く。
 目に映る景色はほとんどと言っていいほど変わらないのに、知っている生徒も先生もいないのだと思うと、やはりまだ不思議な心地だ。

「あの、今日転校するはずの森下、なんですが……」

 ドアのところから室内に向かって、まだ舌が慣れない名字を名乗ると、廊下側の席でこちらを向いて座っていた女の先生が顔を上げた。

「あ。あなたが転校生の森下さん?」

 そう言って先生はこちらへ歩いてくる。20代前半くらいだろうか。ニコニコ笑顔がとても似合う、可愛い先生だ。

「私は体育を担当している松尾です。よろしく、森下さん。ちょっと待ってね、担任の先生呼んでくるから」
「はい」

 松尾先生が、教室の奥の方に向かってパタパタと駆けながら声をあげた。

「綾木先生ー! 転校生の森下さん、来ましたよー!」
「あー、はい」

 ……ん? 今、なんて……。

 どこか聞き覚えのある声が聞こえてきて、そちらに視線をやったわたしは思わず目を見張っていた。だって。

「はじめまして。担任の綾木です」

 こちらに歩いてくるのが、綾木くんだったのだから。

 思わず名前を呼びそうになって、慌てて暴走しそうな口を塞ぐ。

 綾木くんとまさか再会できるなんて。こんな幸せな巡り合わせがあっていいのだろうか。

 目の前に立つ10年後の綾木くんは、高校の頃のかっこよさはそのままに、どこか色気も漂わせる大人の男性へと成長していた。
 高校の時は、どんな場面でも笑みを見せず常に冷静沈着だったからか「氷王子」なんて呼ばれてもいたけど、なんとなく高校生の彼よりも雰囲気が柔らかくなった気がする。

「おーい」

 言葉どおり見惚れていると、突然綾木くんが顔を覗き込んできた。

「は、はいっ……」
「行くぞ、教室」

 頭をコツンと出席簿の角で軽く叩きながら、わたしの横を通り過ぎて職員室を出て行く綾木くん。金木犀に似た甘い香りが鼻を優しくくすぐって、慌ててその姿を追った。