白い明かりが瞼に落ちて、わたしはぱちりと目を開いた。
 視界に無地の天井のようなものが映る。顔をゆっくり動かせば、自分がどこかの部屋のフローリングの上に横になっていることを悟る。

 ……あれ、わたし、どうして……。

 どういう経緯だったかは頭にぼんやり靄がかかったようで覚えていないけれど、川に落ちて水の中で苦しみながらもがいていた感覚が体全体に残っている。あの時、自分の命が途切れる瞬間をはっきり感じた。

 イメージとはだいぶかけ離れた質素な造りだけれど、ここが天国なのだろうかとぼーっと考えていた時、天井を映していた視界に突然人の顔が映り込んできた。

「やっと起きたわね」
「わっ!」

 あまりの驚きに勢いよく体を起こせば、同年代くらいのわたしほどではないけれど綺麗な女の子がこちらを見下ろしていた。

 でも彼女、どこか普通の女の子とは違う。純白のワンピースを纏い、顔に沿うように切られたおかっぱの白い髪に、ぱたぱた動くこれまた白い羽。そして頭の上には輪っかが浮かんでいる。――ん? 輪っか……? 羽……?

「天、使……?」
「どっからどう見てもそうでしょうよ」

 腕を組み、舌打ちして悪態をつく自称天使。

 わたしが知っている天使は、心まで清らかであってこそなはずだ。天使なんて非現実的なことを、当たり前でしょバカなの?みたいな顔で言わないでほしい。
 そう思わずにはいられないけど、そのまま言えば倍以上となって返ってきそうだから、ひとまずそこに関しては口を噤む。

 わたしはたしかに死んだはずだ。というか、ここはいったいどこなのだろう。見るからにありふれたマンションの一室のような、見たことない場所だ。
 体も動くし、まわりの景色も妙にリアルだし、まだ生きていると錯覚しそうになる。
 おまけに目の前には天使ときた。いったいこれはどういうことなのだろう。心霊やオカルトの目に見えない類のものは信じていないというのに。

 すると、混乱するわたしの様子を傍観していた天使が面倒くさそうな声音で言った。

「あんた生まれ変わったのよ、永藤梅子」
「……え?」
「森下桃としてね」

 待って待って。まったくもって理解が追いつかない。

「鏡でも見てみたら?」

 そう言って、天使がどこから持ってきたのか、いつの間にか手にしていた手鏡をこちらに向ける。──と、わたしは鏡を見つめたきり固まった。

「これ、だれ……?」

 そこに、地味を絵に描いたような梅子の見慣れた姿はない。目の前の鏡に映るのは、まるで雑誌から飛び出てきたような美少女だった。綺麗に切り揃えた前髪に、ゆる栗色の栗色のセミロングヘア。そして卵みたいな小顔に乗っかる大きく色素の薄い瞳に、ぷっくりとした赤い唇。おまけにグラマラスな体つき。
 梅子と同世代に見えるが、セクシーで色っぽい魅力がほとばしっている。

 そうして混乱していたせいで今更気づいたけれど、あれほどわたしを悩ませてきた吃音症まで治っている。

「だから、森下桃として転生したあんただって。何度も言わせないで」
「そんな……、これがわたし?」

 一気に容赦なく押し付けられた情報量の多さに、聞きたいことがまとまらないまま上擦った声で問う。
 生まれ変わったら美少女でした、なんて小説の中でしか読んだことがない。まさかそんなありえない超常現象が自分に起こるなんて。
 こんな状況を、どうしたらすぐに受け止めることができただろう。

「ここはどこ? 生まれかわったって……どうして?」
「ここはあんたのために用意した住処よ。あんたは……まぁ、言っちゃえば宝くじに当選したみたいなもんね。超幸運なことに、幸せな第2の人生が当選したのよ。だから、金とかマンションの契約とか、生活に関わる一切のことはこっちで準備してる。あんたはなにも考えず第2の人生を歩めばいいだけ」
「第2の人生って……」

 まるでゲームオーバーになったゲームのリセットボタンを押してやり直すみたいな、あまりに容易で軽々しい言い様だ。

「ここは、あんたが死んだ方の世界。言っちゃえば死亡ルート。んで、あんたが死んで10年後ね。今日からあんたは青葉高校の3年生のクラスに転校することになってる」
「えっ?」
「もし知り合いに会ったとしても、生まれ変わったことを自分の口から話しちゃだめだからね。ルール違反で、その時点で完全に森下桃の存在が抹消されるから」
「え、ちょっと、今さらっとすごく重大なこと言って……」
「とりあえず早く準備して。遅刻するわ。……あ、もし仮にでも私の言うこときかなかったらどうなるか分かってる?」

 わたしより数センチ背が低い小柄な天使が、にっこり暗黒の笑みをたたえて見上げてくる。その先は薄々勘づいているはずなのに、つい訊いていた。

「ど、どうなるかって……?」

 すると天使はわたしの手を掴み、にっこり笑みを深めた。そして指先にこめる力をくっと強める。

「この爪、一枚一枚ゆーっくり剥いであげる」
「……なっ!」

 部屋に響く絶句をもろともせず、天使は瞬時にまた表情を無に戻す。

「そういうことだから。じゃあ私はこれで」

 一方的に喋るだけ喋って、突然天使は音もなく姿を消した。そのありえない光景は、今知らされた非現実的な出来事が現実なのだとダメ押しのように突きつけてくる。
 ひとり取り残されたわたしは、成す術もなくその場に立ち尽くした。

「うそでしょ……」

 こんな超展開、だれが想像できただろう。別人に生まれ変わって、しかも今は10年後だなんて。

「そんなことって……」

 天使が言っていた青葉高校とは、わたしが生前通っていた高校のことだ。
 さっき──死ぬ前まで冬服の制服を着ていたはずなのに、いつの間にか夏服の制服を身に纏っている。

 まだまだ処理しきれていない情報に、ぐるぐる思考はまわる。
 けれど、あのドS天使の、およそ天使とは思えない血生臭すぎる脅迫を受けて、今与えられている選択肢がひとつだということは明確だった。