「結婚式、どうでしたか?」

 子守歌代わりにと小さく囁けば、先生がぽつりと呟く。

「幸せそうだった」

 それから目元を隠すようにそこに腕を乗せた。そして、

「……でも俺は、あいつの手を掴んでやれなかった」

 暗闇に溶けてしまいそうなほどかすかな声が、空気に滲んだ。

「え……?」
「あいつの“大切”になれなかった」

 腕の下から、暗がりの中できらりと光る一筋の涙が先生の頬を伝った。

「梅子……」

 涙に濡れた頼りない声が、あの名前を呼ぶ。

 容赦なく心臓を握りつぶされたようだった。瞬間、じわっと目の奥が痛んで、瞳を覆ったそれはあっという間に粒になって頬を伝う。先生の切なさがダイレクトに胸に届いて、あまりの息苦しさに窒息しそうになる。
 そんなに苦しそうな声で、もういないわたしの名前を呼ばないで……。

 けれど先生の前で嗚咽も本音も漏らすことはできず、必死にこらえる。

「そんなことないです。あなたは梅子のたったひとつの大切でした」

 そして鼻をすすって、わざとおどけたふうに語りかける。

「もう……ひどいなあ。ふたりきりの時に他の女の名前を呼ぶなんて」

 ぽたっと一粒こぼれた涙が先生の頬に落ちて、それに気づいたように先生が目元から手を離しわたしを見上げた。先生の頬に落ちた涙は、まるで先生がこぼしたそれに見える。

「森下……?」
「はい、森下です」

 ごめんね、梅子だって答えてあげられなくて。