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「はぁ……」
一日経っても、ずっと引きずっていた。後悔がずしんと重い岩石のように胸にのしかかってくる。
あんなこと、訊いたりしなければよかった。
先生の中に梅子はいない。先生にとって過去なんて、梅子なんて、どうでもいいことだった――。
それは、崖の下に突き落とされたような絶望だった。ちっぽけな心はもう、ぐちゃぐちゃに踏み潰されていた。
考えてみれば当たり前のことなのに、ほんのわずかでも期待してしまう気持ちがあったから、今こんなにも裏切られたような絶望感に襲われているのだ。
「どうしたの? アンニュイな表情しちゃって。なにかあった?」
登校してSHR前の時間。廊下を歩きながら無意識のうちに溜め息を吐き出すと、一緒にトイレに行ったサラちゃんにそう突っ込まれてしまった。
本当のことを相談したいけれど、そういうわけにもいかない。
心配させてしまいながら誤魔化さなければいけないことを申し訳なく思いながら、「なんでもないよ」と笑顔を作った時。
「さきちゃん、個人レッスンしてよ~」
前方から聞こえてきた女子の声に、心臓がびくんと跳ね上がって、反応した。
声がした方に視線を向ければ、廊下の向こうから、女子ふたりに両脇を固められながら先生が歩いてくるところだった。
まさか朝から会ってしまうなんて。
先生に会いたくない日が来るなんて、想像したこともなかった。
どんな顔をしたらいいかわからなくて、鼓動が嫌な音をたてて加速する。
きっと、こんなふうに意識しているのもわたしだけなんだろうな……と思うと、さらに悲しみの波に溺れそうになる。だって先生はちらりともこちらを見たりしないのだから。
そう思うのに先生を目で追ってしまうのは、わたしがどうしても先生を好きになる気持ちを止められないから。
そして先生がそのままわたしの横を通り過ぎていく……と、その時。
――ドンッ!
「きゃっ……」
派手な衝撃音と、いきなり窓の外から突然飛び込んできた物影に驚いて、思わず叫び声をあげた。
先生がこちらを振り返る――その姿に被るようにして、窓から飛び込んできた物陰、否ひとりの男子が上体を起こした。
「ぎり遅刻セーフ……って人いたのかよ」
男子の背に太陽が重なり、そこでようやくまともに目が合う。
派手な金髪に、端正な顔の中で一際際立つ鋭い眼光。
彼のことを知っている。同じクラスの皇 桐くんだ。
滅多に学校へ姿を現さない彼のことを一方的に知っているのは、皇くんが校内でも有名な不良だからだ。
それなのに顔がいいから一部の派手女子から熱烈な人気があるとかないとか。サラちゃんたちからそう教えてもらった。
視線が合ったかと思えば、皇くんが突然わたしの顔へ手を伸ばしてきた。
「お前、」
皇くんがなにか言おうとするように形のいい厚い唇を開きかけたその時。
「こら、皇」
先生が額に怒りマークを浮かべて、こちらに歩いてきた。そこで時が止まったようにぴたっと皇くんの手が止まり、わたしに触れることなく引っ込められる。
「あ! そろそろ教室戻らなきゃ!」
背後にいたサラちゃんに腕を掴まれ、そこでやっと「う、うん」と我にかえる。
「どこから入ってきてるんだ。土足厳禁だぞ。それに危ないだろ、……」
先生のお説教タイムが始まった。
サラちゃんに手を引かれて教室へ向かいながら、ふとさっきいた方を振り返れば、皇くんは先生からのお叱りを受けながらも、わたしを見つめていた。
……さっき、なにを言おうとしていたんだろうか。
気になったけれど立ち止まれず、後ろ髪を引かれるようにその場を立ち去る。
この時のわたしは、この出会いが大きなきっかけになるなんて、そんなことはちっとも思いもしなかった。