コイッペキ

夏休みに突入した。
ヒナは合宿に向けて、ひたすら台本の暗記に打ち込んだ。
エマやシオンは一度、見ただけで完璧に暗記してしまう天才だけど。
ヒナは何度も音読して、紙にセリフを書き出して。
なんとか覚えたといったところだった。
毎日、一生懸命セリフを覚えたが。
合宿当日まで完璧には覚えられなかった。

「さぁ、ヒナちゃん。いっくよー」
玄関のドアを開けると。
大きなスーツケースを持ったエマの姿があった。
水色のワンピースに麦わら帽子。
そしてスーツケースが異常に大きい。
「エマ、荷物大きくない? 2泊3日だよね?」
真っ赤なスーツケースは海外旅行用なのか、長期旅行用なのか…と言っていいくらい。
大きかった。
「色々荷物が必要なの! ヒナちゃんの荷物が少なすぎ!」
「…そうかなぁ」
ヒナは自分が持っているボストンバッグを思わず眺めた。

「それより、エマ。シオン君は?」
エマの周りには誰もいない。
「あ、シオンは先行ってる」
「え・・・」
思わずヒナは嫌な表情を浮かべた。
「なんか、一緒に行くのが恥ずかしいみたい」
そう言って。エマはスーツケースをカラカラと言わせながら歩き出した。

ヒナは大丈夫だろうかと不安になりながら。
エマの後ろについていく。
シオンが本当に王子様を演じてくれるのか。
信じられない。

バスに乗って。
駅まで向かい。
そこで、アユとオハルと合流して。
普通列車に乗って。
揺られること小1時間。
海の側にある合宿所は。
ヒナとエマが通う学院専用の合宿施設だ。
小学生から大学生、そして卒業生までが。
使用することの出来る合宿施設。
それなりに大きい施設で。
夏休み、部活の合宿で利用する生徒も多い。

部屋に荷物を置いて。
練習場として使用する小ホールに向かうと。
既にシオンが座って。
台本を眺めていた。
全面ガラス張りの部屋には。
何も置かれていない。

「シオン君、おはよう」
ヒナが挨拶すると。
シオンは小さな声で「おはよ」と言った。
今日は流石に無視はしないようだ。

久しぶりのシオンを目の前にして。
やっぱりカッコイイな…とか、何を話そうかとヒナが考えていると。
エマが、
「先生もう少ししたら来るって。ちょっと待機ね」
と大きな声で言った。

そういえば、顧問の先生って誰なんだろ?
ヒナが首を傾げてエマを見ると。
エマはアユとオハルの3人でゲラゲラと笑い合っている。
「どうも、お疲れっす~」
先生が来たかと思い、一同が入口を見ると。
立っていたのは、何故かチューキチだった。
「なんで・・・?」
ヒナは驚いてチューキチを凝視した。
Tシャツに半ズボン、頭にタオルを巻いているチューキチ・・・
「なんで、チューキチ君がここに来てるの?」
「あ、ヒナちゃん。私が呼んだの。彼、意外と便利よ」
本人がいる前で「便利」と言い放つエマに。
思わず、「ちょっと、エマ!」とヒナは声を荒らげたが。
「どうもっすー」
と、チューキチはさらりと聞き流したのか。それとも気にしていないのか。
ニコニコと笑った。
「エマが呼んだってことは、チューキチ君。舞台に出るってこと?」
恐る恐るヒナがチューキチに尋ねると。
チューキチは更にニッコリと笑った。
「エマさんに頼まれまして。出ることになったっす」
「出るって…何の役?」
まさか、ネズミなんかの動物の役か!? それとも、もしかして女装して登場するのか?
短い時間、ヒナはアレコレと想像してしまう。
「俺は、シオン先輩の家来役っす!」
家来・・・という言葉を聴いて。
近くにいたアユとオハルがアハハと笑い出した。
「そういうことだから、ヒナちゃん。ヨロシク」
「よろしくって・・・」
エマがとびっきりの笑顔でウインクした。

エマがここまで誰かに心を開いたのは久しぶりではないのか。
いつのまに2人は連絡を取り合っていたのだろう。

ヒナはその場で固まっていると。
「お疲れ様ですー」
と言って誰かが入ってきた。

「遅くなって、スマン。今日からお世話になります」
部屋に入ってきたのは。
まさかのトド先生だ。
「は!?」
思わず、ヒナは悲鳴をあげる。
そんなヒナを見たエマは小さな声で、
「あのね。ヒナちゃん。あの事件以来。藤堂先生と仲良くなったの」
「仲良く…って」
「本当は、演劇部の顧問の萩原先生に頼んだんだけど。忙しいみたいで。だったら、暇そうな藤堂先生はどうかなって駄目元でお願いしたらOKだったんだ」
「…凄いね、エマって」
あんな悲惨な事件があって。
それをキッカケにトド先生と仲良くなって。
言葉は悪いけど。いいように利用しているエマの行動力に。
ヒナは凄いとしか思えなかった。

トド先生は、額から滝のような汗を流している。
「皆さん、おはようございます。1年1組進学コース担任の藤堂です。今日から2泊3日、演劇同好会の皆さんと共に行動します」
急にトド先生の挨拶が始まったので。
皆、先生の前に集まった。
「僕は演劇経験が一切ないので。今回は、特別ゲストに来てもらうことにしました」
トド先生は扉のほうを向いた。
「ピエールさん、どうぞ!」
トド先生の一言で。
扉の後ろに隠れていた外国人が中に入ってきた。
ブロンドの髪の毛と鋭い目。
芸能人で言えば、どことなくパックンマックンのパックンに雰囲気が似ている。
「ピエールさんは、大学で演劇の指導をしている方なんだ」
と、得意気にトド先生が話す。

ヒナはピエールを見て。
何か凄いことになりそうだとフリーズした。
エマの人脈は一体どうなっているのだろう。
人嫌いと言いながら。
いざとなるとエマの顔の広さには脱帽する。

ピエールさんの自己紹介が終わった後。
今度は皆の自己紹介が簡単に行われた。
「演劇同好会、部長。1年A組一貫コース、森恵麻です。魔法使いを演じます。ヨロシクお願いします」

「1年1組進学コース、箕輪陽菜です。恐れながらシンデレラを演じさせて頂きます。よろしくお願いします」
ヒナは深々と頭を下げる。

「2年A組一貫コース、森紫恩です。・・・えーと。森恵麻の兄です。王子様役を演じます。ヨロシクお願いします」

「1年1組進学コースの中吉(ナカヨシ)っす。王子様の家来を演じるっす。ヨロシクっす」

チューキチの説明が終わり。
アユとオハルの自己紹介が終わると。
「じゃあ、みんな。ストレッチと発声して。いよいよ始まるからね!」
エマの一声に一同が「はい!」と叫んだ。