「松谷さん」

「……」

「私は、悪い事をしているわけじゃない」

「……」

「卵をぶつけられる理由も分からない。もう、こんな事やめて。お願い」

「……」

「…でも、気持ちをはっきり言ってくれて、ありがとう」

「偽善者!…そういう所が大嫌いなの!!」


「いい加減にしろ!!」



 突然、重低音の荒々しい声が響いた。



 黒木君が、『生徒会執行部』の腕章を左腕につけて、いつの間にかすぐ側まで歩いて来ていた。今日は彼の後ろを、同じ腕章をつけた水谷君と日野君が歩いている。

「風間じゃない方の1年女子。お前に言っておく」

「……黒木先輩…」

 松谷さんはずっと憧れていた黒木君に、初めて正面から見つめられている。

「コソコソ隠れながら卵をぶつける卑怯なバカが、正しくあろうとする人間と口をきく資格は無い。違うか?」

「……」

「お前はまず、その腐った心根を正せ!!」

 松谷さんは、両手で顔を覆って泣き出した。

「お前が人と向き合えるのはそれからだ。…最も、改心した所で生きている間は、有沢に近づけないかも知れないが」

「黒木君、もう…」
 もうやめて、と言おうとしたその時。

 松谷さんは、私に向かって頭を下げた。

「……すみませんでした!!!」

 彼女は、校舎とは反対側に走り出した。

「あ、松谷さん!」

「放っておけ!!」

 黒木君はこう叫ぶと踵を返し、1年生2人と校舎の中に入って行ってしまった。

「うわ~…」
 胡桃は言葉も出ない様子で、黒木君の後姿を眺めていた。

 胡桃ですら、凍り付く迫力。

 風間さんは、
「それじゃ、また」
と、彼らの後に続いた。

「風間さん、ありがとう」
 私がお礼を言うと彼女は振り返って、少しだけ微笑んだ。




 『要注意リスト』ナンバー1の『タマゴっ娘』からの攻撃はその後一切、無くなった。












 土曜日になった。


 司君はインフルエンザでは無かったため、体調が戻ると無事学校に復帰したが、『タマゴっ娘』の事件を知らないまま慌ただしく週末を迎え、今朝から図書局の研修合宿へと行ってしまった。

 私は黒木君からのメールによる指示に従い、日本一大きなテーマパーク、『ネズミーランド』に朝早くから彼と2人で遊びに来ている。

 クリスマス装飾がパーク内を美しく輝かせ、巨大できらびやかなツリーと海外の街並みのような華やかな世界が、私たちを大歓迎で出迎えてくれていた。

 サンタやトナカイの恰好をしたキャラクター達が楽しそうな様子で踊りながら、にこやかな様子で握手をしてくれる。

 隣には、…キャラクターと握手をしながら、にこりとも笑わない、黒木君!!

 ……これ、普通のデートだったの?!!

 中学時代の思い出溢れる校舎を二人で見て回る様な渋い一日を想像していた私は、明るいムードのパーク内を何度も見回し、状況についていけず彼に声をかけた。

「えっと、黒木君。…とりあえず、何か乗り物に乗ろうか」

「……ああ」

「これなんかどうかな!イッツ・ア・ファンタジーワールド!」

「ああ。それでいい」

 この雰囲気、懐かしい…。

 私、どうして無理やり、一人ではしゃぎまくっているのだろう…。

 黒木君、普段は無口な人だから、『彼女のフリ』デートの時はいつも私が色々勝手に考えて動いていた。

 『イッツ・ア・ファンタジーワールド!』は最近リニューアルしたばかりなので人気があり、20分くらい並ばなくてはならなかった。

 横に並ぶ黒木君を、見上げてみる。

 コーデュロイの切り替えが入ったブラックのミリタリージャケット、キャメル色のセーターと長い脚には少し光沢のあるブラックパンツ。

 いつも思うが、身長が高い黒木君の私服姿は、まるでトップモデルみたいに格好いい。

 彼は私を見た。

「『彼女のフリ』じゃない割には、気合入ってないか?」

 私は自分の姿をちらっと見た。

 ベージュのひざ下まであるレイヤードコート、ドロップショルダーの白ニットに皮素材の黒タイトスカート。首元にはゆるフワのチョーカーを巻いてみた。

 相手が黒木君だと大人っぽさを出さないと全然、釣り合わない。一緒に歩く彼が恥ずかしい思いをするかも知れないと悩み抜いた挙句、この格好に仕上がった。

「そうかな…」
 彼なりに、服装を褒めてくれているのだろうか。


「有沢」

 見た事の無い、黒木君の表情。

「……何?」

 重くて堅い錆びついた鎧を、一瞬だけ外そうとしている様な。

「読んだぞ、『霽月の輝く庭』」

 心の奥に閉じ込めていた何かを今、
 私に見せようとしてくれているのが解る。

「本当?…21巻全部?!!」

「……ああ」

「嬉しい!!!」

 彼は私が急に興奮し出したので、その勢いに驚いた様子だった。

「やっと読んでくれたんだ!!」

「……そんなに嬉しいのか」

 私は頷いた。

 薦めてから、5年かかった。
 もう、とっくに忘れていると思っていたのに。

「どうだった?面白かった?」

「…そうだな。所々、難しくて分からない部分があったが」

「どこが面白かった?何巻当たり?」

 彼は少し考えてから、
「後半。11巻以降から引き込まれて、一気に読んだ」
と言った。

「そうだよね!私も後半が好き!!」

 もっと熱く『霽月の輝く庭』の話をしていたかったけれど、黒木君は急に別の話を切り出した。


「……聞きたい事がある」


 いつもと全然、違う雰囲気。
 戸惑いを含んだ、揺れる声。


「白井司の事が好きなのか?」

 答えを聞きたく無さそうに。




「……うん」




 黒木君の瞳が、荒々しさを含んだ、
 苦しくて悲しそうな色に変わる。

「……あいつがどういう目的でお前に近づいて来たのか、ちゃんと分かったのか?」

 私は首を横に振った。

「まだ、それは分からない」

 彼は私の右肩を掴んだ。

「どうして早く、ちゃんと聞かない!」

 心配してくれている。黒木君。

「好きだからって、そんな状態であの1年生と付き合っているお前が理解できない」

「……うん。そろそろ聞こうと思ってる」

 彼の瞳が、苦しそうに揺れた。

「俺はもう、お前がひどい目に遇うのが嫌だ」

 私は黒木君の目を見た。

「心配かけてごめん、黒木君。ちゃんとする」

「……あいつのどこが好きなんだ」

 私はもう、
 はっきりと自覚していた。

「嬉しいの。司君といると」

 自分の、はじめての恋心を。

「彼の事をもっと知りたい。いつも一緒にいて、沢山話をしてみたい」

 司君と話をするたび、
 一瞬一瞬が、鮮やかに色づく。

「今ここにいなくても私、気づくといつも彼の事ばかり考えてる」

 世界が終わってしまった後も、
 一緒に笑っていたいと思える。

「彼の嘘がどうとか、誤解を解くとか、そういう事がどうでも良くなっちゃうくらい」
 
 惹かれる気持ちを、止められなくて。
 見つめるだけで、幸せで。

「ちょっと後回しにし過ぎて、段々質問するのが怖くなってしまったけど」

 一分一秒でも無駄にしたくない。
 同じ世界を、共有したい。

 彼と一緒に、生きてみたい。