劇場内の1階にあるカフェにて。

 …何故、私は少し緊張しているのだろう。

 案内された丸テーブルに、3人分の飲み物が運ばれてきた。風間さんはカプチーノ。司君と私はホットコーヒー。

「沙織さん、妙な顔をしてどうしたんですか?」

 柔らかいブラウンのタートルネックワンピースを着たモデルの様な風間さんと、黒いセーター姿の司君。まるで雑誌の中から飛び出してきたかの様な美男美女が、私と同じテーブルに座っている。

「…元々こういう顔なの」
 妙な顔って!傷つくなぁ。

 完璧でお似合いな、美形の二人。一緒のテーブルに座っている普通の私だけが浮いてしまっているような気がして、さっきから何だか妙に気後れして落ち着かない。

「それで本題ですが」

 風間さんは突然、話を切り出した。

「本当に付き合っていなかったんですか?会長と有沢さん」

 私はまずコーヒーを一口飲んでから、それに答えた。

「うん。1度も」

「じゃあどうして何度も、2人で外出していたんですか?」

「2人で出かける事もあるよ?友達だし」

「納得できません」

 ………ギクッ!

「何度か目撃した事がありますが、あれは友達という雰囲気ではありませんでした」

 …それは、一生懸命頑張っていたからだ。

 彼女らしく見える様に、出来るだけ黒木君にくっついて歩いたり、私なりの小細工をしていたからである。

 司君が、突然話に参加した。

「沙織さん、どうして『彼女のフリ』をしていた事を、風間さんにちゃんと説明しないんですか?」

 ああ、しまった!!! 

 先に、司君に口止めをお願いしておくんだった...。

 風間さんの視線が先程より一層、鋭く光った。3秒見つめられただけで、石にでも変わってしまいそうだ。

「…へえ。『彼女のフリ』…!」

 …マズい!!ついにバレちゃった!!

 胡桃以外の誰にも、言ってなかったのに…。
 デートをした理由が『彼女のフリ』だった事。

「『彼女のフリ』をしたのは、……ストーカーだった女の子の元彼氏から、ひどい嫌がらせを受けて、黒木君が大変そうだったからなの。最近まで」

 まだほんの少し温かいコーヒーに両手を添え、私は続けた。

「黒木君に『彼女』がいるとわかった途端安心したみたいで、嫌がらせはおさまった。だからもう、『彼女のフリ』しなくても大丈夫みたい」

 司君は話を聞くと、とても複雑そうな表情に変わった。

「…『彼女のフリ』してた事を皆に内緒にしていたら、それが原因で沙織さんが逆に危ない目に遇うかも知れないですよね?」

「…うん」

「…どこまでお人好しなんですか、沙織さんは」

「今日2回目だね?それ言われるの」

「3回言った方がいいですか?」

「………」

 司君、怒ると何だか無表情になっちゃって、陶器の人形みたいで凄く怖い。

 風間さんは今の話にショックを受けた様子で、何かを考え込んでいた。
  
 黒木君を好きだった女の子達の中には『要注意リスト』該当者がいる。彼の悪質なストーカー、その元彼など彼の反対勢力である『反・黒木勢』もそれに含まれる。

「黒木君は人望が厚いけど、敵も作りやすい人みたい」

 彼の弱味を握ったり、評判や人気を潰したくてウズウズしている、意地の悪い人達が沢山いるのである。

「何をネタに色々言われるかわからない以上、あれが『彼女のフリ』だった事は出来るだけ隠しておこうと思って」

 黒木君の為に。

「…………」

「…………」

 司君と風間さんは、無言になってしまった。

「今まで隠していて、本当にごめんなさい。風間さん」

 私が頭を下げると風間さんは首を横に振り、初めて少しだけ微笑んでくれた。

「こちらこそ。事情をよく知りもしないのに、失礼な事ばかり言ってすみませんでした」

 すごく、可愛い笑顔。

 こんな顔が出来る人だったんだ、風間さん。

「私、告白したんです。黒木先輩に」

「え?!!」

 …それは初耳である。

「断られました。好きな人がいるって。…それって有沢さんの事ですよね?」

「…まさか!」

 『彼女のフリ』をしていたとはいえ、黒木君が私を好きだなどという事はあり得ない。

 司君は目を瞑り、深い深いため息をついた。

「…鈍すぎ。沙織さんは超・お人好しの上、超・鈍感ですね!」
 彼はカップに入ったコーヒーを揺らした。

「…え?」

 風間さんは頷き、あきれた口調で私にこう言った。

「有沢さん以外の女の人に、黒木先輩から話しかけている所を見た事がありません」

「黒木君は女の子が苦手だからだよ。私達は幼馴染みたいなものだし、私は女の子だと思われていないと思うよ?」

「いいえ。間違い無く黒木先輩の好きな人は、あなただと思います」

 風間さんはカプチーノの泡をスプーンですくいながら話を続けた。

「『彼女のフリ』とかいうふざけた理由で、好きでも無い女子と2人でデートしますか?あの黒木先輩が」

 …それは黒木君がとっても危険な状態だったから、仕方なくデート作戦という方法に踏み切ったのであって…。

 私は何だか、急に胸の中がモヤモヤした。

「…二人共そう思っているの…?」


 二人は大きく頷いた。


 そんなわけ……………。


「沙織さんの鈍感力、見習いたいです。僕」

「…そうですね。私も是非、見習いたいです」


 …………美形二人、言い方が容赦無い。


 













 風間さんは時計を見た。

「そろそろ舞台開演の時間です。中に入りましょう」















 幕が上がる。


 風間さんの母親、『既望(キボウ)』役の、女優の小枝麗華が舞台の中央に登場した。



「時の輪を戻し、もう一度あの方に会いに行く」


 
 音楽が流れる。



 主人公の『既望(キボウ)』は世界でただ一人、時の神の祝福を受け、自分の思い通りに時間を操る力を授かった女性である。

 聡明で美しいが自由奔放な性格の『既望』は、彼女しか操れない『時の輪』という力で自分勝手に時間を操り、二人の男性を同時に愛してしまう。

 星の王『明冠(メイカン)』と、月の王『亜槙(アーシ)』である。

 『霽月の輝く庭』の主人公・亜槙(アーシ)と結ばれた既望は、最後の王子『(カイ)』を出産するが、それと同じ時刻に星の王・明冠(メイカン)との間に授かった(エイ)も出産する。

 世界の秩序と時の輪のバランスは、既望のこの行動によって崩れてしまう。互いの存在を知った星の王子と月の王子は、どちらか一つしか存在できない自分たちの世界を守るために、何世代にもわたる戦いに突入していく。

 小説では死者の世界を彷徨った後の『亜槙』が最後に蘇って感動のラストを迎えるが、この舞台では亜槙のただ一人の恋人であり妻である『既望』にスポットが当てられ、彼女を主人公に据えた話になっていた。


 小枝麗華の演技は圧巻であり、小説とは違う舞台ならではの表現で語られる、余韻の残る内容とラストシーンに、思わず私は何度も涙を流してしまった。

 風間さんはお母さんの楽屋に寄ってから帰るそうなので、舞台が終わると司君と私は、二人で劇場を後にした。