仕事が終わって店の裏口から外へ出ると、細い路地の隅で司君が待っていてくれた。

「お待たせ。ごめんね、寒かったでしょう」

「ううん。外にいたのは少しの間だけですから」

 彼の顔を覗き込むと、鼻の頭が少し赤くなっている。

 やっぱり寒かったに違いない。
 また、申し訳なさで一杯になってしまう。


「沙織さん、家に帰る前に少しだけ、一緒に歩きたい場所があるんです。いいですか?」

「?…うん」






 駅から歩いてすぐの場所を華やかにクリスマス装飾で彩った、シャンパンゴールドの長い長い、イルミネーション。

 街路樹がライトアップされて、夜の街を明るく、美しく照らしている。

「…綺麗……!」

 キラキラ、キラキラ、街が輝いている。

 楽しくて、嬉しくて、幸せで。
 感謝の気持ちを、私に思い出させてくれる。

「沙織さん、ここに来るのは初めてですか?」

「うん!…存在は知ってたけど、来たのは初めて!…本当はずっと、来てみたかった」

「やった!一緒ですね!」

 嬉しそうに、はしゃぎながら私を見て笑う彼。
 何だか、不思議な気分。

 まさか以前から憧れていた場所に、彼と2人で来る事になるなんて、夢にも思わなかった。

 3日前の自分に、聞かせてあげたい。


 彼は私に、突然質問してきた。


「沙織さんは、どうしてご両親と一緒にイタリアに行かなかったんですか?」

 私は、ちょっと昔を思い出してから、彼の質問に答えた。

「安心させてあげたいな、って思ったの」

 少し大きな仲通りの広場には、大きな大きな、クリスマスツリー。

「…?」

 赤、紫、青、黄、緑。
 思わず足を止め、彼と一緒に見つめてしまう。

「2人がいなくても、一人で生活できるよって」

 その色の輝きは、大きな動物が動いているかの様に、ダイナミックに変化していく。

「…」

 あたりを彩りながら、ツリーは語りかける。

「子供の頃、私、体がとても弱かったの。だから小説だけが友達だった時もあった」

 どんどん光が、この輝きが、変化していきます。楽しいですよ?

 だからどうか見ていてください、と。

「もともと腫瘍ができやすい体質みたい。病院通いや入退院や手術が多くて、死ぬかも知れないと思った瞬間も、何度かあった」

 まるで私は、生きているみたいでしょう?
 どうかお願い。もっとゆっくり、
 こちらに注目してください、と。

「私の病気のせいで両親にはずっと、心配や苦労をかけちゃったの」

 点滅や変化を繰り返しながら、まるで歌を歌っているかのように。

「でもずっと、優しくしてもらった。だから私、両親に恩返しをしたい」
 
 ワンコーラスを歌い終えるまで、足を止めて聞いていて下さい、とでも訴える様に。

「……沙織さん…」


 最初の色に戻るまで、
 どうしても、ここに留まり、
 彼と一緒にじっと見ずにはいられない。

「中学に入学した時くらいから元気になってきて、徐々に私、生きる事に自信がついてきたから」

 彼は、私の手をそっと握り、

「…そうですか。良かった…!」
と言って、笑いかけてくれた。

 私も笑って、頷いた。

「これからはもっと、両親には自分たちのために時間を使って欲しいと思って。…だから一度私から離れて、完全に自由になってもらいたかった」

 そして再び、彼と一緒に明るい街路樹の中を、手を繋ぎながら歩き出した。

「…苦労をかけた事、申し訳無く感じているんですか?ご両親に」

「うん。一人娘だから…過保護すぎるくらい気にかけてもらったし。…こんな言い方したらいけないのかもしれないけど、少しだけ息苦しかった」

 この輝いた、感謝に満ちた光の中。
 この出来事こそが、まるで夢のよう。

「ただ沙織さんを、大切にしたかっただけじゃないかな。ご両親は」

「…」

「…申し訳無く感じる必要は無い、と僕は思いますけど」

「…そうかな…」

 彼は頷いた。

「それに沙織さんは、もう返してますよね?」

「…?」

「優しさが溢れすぎるくらい、溢れてる」

 彼は足を止めて街路樹の真ん中に立ち、両手を広げた。

「この、たくさんの光みたいに」

 光を見上げながら彼が深呼吸をすると、彼の吐く白い息が、さっと空気に溶けるのが見えた。まるで一枚の絵画みたいに、彼は光のシャワーに溶け込んでいる。

「お人好し過ぎで、心配になるくらい!」
 そして急に照れたように笑いながら、突然私をからかい出す。

「…そう…?」
 そんな風に言われると、どんな顔をしていいか、わからなくなってしまう。

「…沙織さんを見ているともう、優しさをご両親に返すどころの騒ぎじゃ無くて…」


 彼は、車が通らない道のど真ん中で、
 私の体を愛おしそうにぎゅっと、抱きしめた。


「受け取った優しさを、他の誰かにも与えずにはいられない様に、見えますけど」

 柑橘系の、あの香りがする。

「…司君…」

 私は、彼の背中にそっと手を回して、
 その体を、自分から抱きしめ返した。


「…!」


 人が見てる。


 だけど、そんな事、
 今は、どうだっていい。


 今ここに、司君と一緒にいられる事は、
 私にとって決して、当たり前の事じゃ無い。


「何度か生死の境を彷徨った後、わかっちゃったの」


 私は彼に抱き締められながら、囁いた。

「これからどんなに求めてももう、この一瞬は永遠に戻って来ない」


 どうしてだろう、
 なんだか涙が溢れてきそう。



 私は、この出会いを大切にしたい。



「私は今生きていて、司君と一緒にここにいる」


 はじめて彼に、自分という人間を、私は正確に伝えたいと思った。


「ただそれだけで、胸が一杯になるくらいの感謝がどんどん、こみ上げてくるの」


 彼はそっと私から、体を離した。
 はじめて私に出会ったような顔をして。




「…僕も、感謝してる。…沙織さん...?」




「…何?」



 
 今までに見たことの無い、
 妖艶とも呼べる様な貌が、彼に宿った。









「もし僕が『キスして』ってお願いしたら、してくれますか?」












 ……ん?








 司君、今なんて言った…?












「僕、あなたとキスしたい」