その日の夜見た夢は、ファンタジーに満ちていた。


 薄い靄で覆われた世界。


 透き通る螺旋階段を私は、上へ上へと登っていく。

 すると、黄金に輝く華麗な彫刻が施された、紫色の大きくて分厚い扉が見えてきた。

 ぽつんと存在するその扉の前に、燈子さんが新しく購入した特注の麻雀卓と猫脚のマホガニーチェアが置かれており、高野さんがそこに座って私に話しかけてきた。


「ここは心の国。俺はその番人」


「…は?」


 物語に出て来る魔法使いの様な藍色のローブを羽織った高野さんは、その佇まいが驚くほどカッコ良かった。

 彼はちょっとだけ私を一瞥し、麻雀卓の上で三色ボールペンを使い、黄色い用紙に表の様な何かを書き出した。

 …点数でも計算するつもりなのだろうか?

「…高野さん、ですよね?…何してるんですか?…ここは一体…」

「はい、アームバンド見せて?」


 アームバンド?


「身分証だから。それ」


 私はふと、自分の服装を見て仰天した。

 神話に出てくる女神の様な白いドレスを身に纏い、同じ色の柔らかい生地で出来たマントを羽織っている。

 左腕のアームバンドからは一直線に透き通る碧い光が飛び出し、高野さんの瞳を明るく照らした。

「うん、君は嘘つきじゃない。問題ないね!通っていいよ」


「…高野さん、何なんですかこの世界は…」

 その大きくて分厚い紫色の扉が、ギシギシと重厚な音を立てて開いた。

 すると中から突然、胡桃が現れた。

「はい、お姫様はこっちこっち~!」


 …ん?...お姫様?


 …もしかして私の事?!


 胡桃はフワフワした薄緑色の動きやすそうなドレスを着て、透き通る妖精の羽根を楽し気に羽ばたかせながら、私の手を引いた。


「もう一回王子の話聞く~?お姫様」


 胡桃はいきなり私を抱きかかえると、空の上へと飛び上がった。


「キャーーーー!!!!!」


 おちる!!!!!


 私は恐怖の瞬間を味わった。


 そして胡桃は、高い高い塔のてっぺんに私を下ろし、あっという間にどこかへと飛んで行ってしまった。

 …死ぬかと思った。


 塔の上には、一人の少年が立っていた。


 彼は赤紫の地に金の縁飾りが施された白いトーガ姿で現れ、私に向かってこう言った。


「姫!良かった。またお会い出来ましたね!」


 王子様の恰好をしている、司君だ。


 私はキョロキョロと、あたりを見回してしまう。


 …姫っぽい人は、…他にいなさそう。


「あなたは…司君よね?」



「違いますよ、言魄《コダマ》です」



 言魄《コダマ》は『霽月の輝く庭』11巻から13巻にかけて出て来る登場人物である。

「姫。僕は、嬉しかったです。…すごく」

 物語の主人公・亜槙《アーシ》は、10巻の最後に衝撃的な死を遂げる。

「あなたが僕に告白、してくれた事」

 言魄《コダマ》は、死後の世界でもさらに悪魔に狙われてしまった亜槙《アーシ》を救うため、亜槙《アーシ》の心の奥底から飛び出した、『言葉の魂』として登場する。

「こんな気持ち、生まれて初めてです」

 言魄《コダマ》は決して、『嘘』をつく事が出来ない。

「この気持ちが何なのか、ちゃんと知りたい」

 何故なら『嘘』を一度でもついてしまうと、それは彼の口から巨大で恐ろしい魔獣に姿を変えて、襲い掛かって来るからである。



「だから僕、あなたと付き合う事に決めました!」



 司君は私を引き寄せ、優しく抱きしめた。


「…」


 心臓が、どきどきと音を立てる。



 魔獣は言魄《コダマ》をじわじわと傷つけながら追い詰め、何度も何度もその体と心に喰らいついて、蝕む。


「あなたは…?」


 魔獣の破滅的な力には、どんなに強い勇者であっても絶対に抗えない。


「…私…?」


 言魄《コダマ》は13巻の最後に、自分が亜槙《アーシ》を守るためについた『嘘』の魔獣の手にかかり、必死の抵抗も敵わず殺されてしまう。



「僕の事、好き…?」



 昨日はじめて話したばかりの、司君。



 もうこんな場所で私、抱きしめられている。



 …まだ、わからないよ。好きかどうかなんて。



「大好き、って言ってくれたじゃ無いですか」


 実はそれ、間違いなの。


 あなたにも、それが分かってる?


 でも、本当は私。



 …この出会いを、大切にしたい。



「…もっと司君と話したいよ、私は。…でも、」


 私は急に、彼が魔獣に食い殺されて死んでしまうのでは無いかと、心配になった。


「……司君、嘘はついちゃダメだよ…。言葉が魔物になって、いつかあなたを、殺しに来ちゃう」


 彼は、少しムッとした表情に変わった。


「……僕は言魄《コダマ》です。嘘なんか一度もついていない。その証拠に僕もあの扉を通ってここに来ました」


 司君は、悲しそうに叫んだ。


「…あなたをもっと知りたいんです。姫」


 彼は、私を抱きしめる力を強くした。


「……」



 私は全く身動きが出来ない。




「好きになっては、いけませんか…?…姫」




 彼は私の耳元で、こう言った。




「信じては、もらえませんか?…僕の事」





 少しでも動けば、触れそうな唇。






「だって今、証明出来たでしょう」






 吐息が私に、くすぐる様に笑いかける。






「これが真実の言葉だから、僕の口から魔物が出てこないんです」




 ぞくっと体が、震えてしまう。




 彼は真っ赤になった私の両頬に触れ、自分の顔を真っ直ぐ近づけた。





 私はぎゅっと、目を閉じた。





 唇と唇が重なる寸前。





 薄紫色のバスローブを着た橙子さんが、司君と私の真ん中に突然、現れた。





「何するんだい、アンタ達」





 司君と私は、燈子さんの両側から、彼女の頬にキスをしていた。









「大賢者様!!」










「ははあっ!!」







 いつの間にか高野さんと胡桃が近くに現れ、バスローブ姿の橙子さんに向かって膝をついてひれ伏している。







 橙子さんは、夏場の麻雀の際によく彼女が使用する、ちょっと大き目で羽根つきのお洒落な黒い扇子を広げ、










「彼と付き合う覚悟が、本当にあるのかい?」









 と、私に問いかけた。










「はい」






 私は迷わず、返事をした。











 そこで目が覚めてしまった。