返ってくることなんかあるはずもない返事。
それを空を見上げたまま耳を澄ます。
聞こえてくるのは
小鳥のさえずり
病院前を行き交う車の音
男の子の声までも
そして、
「日詠先生、いえ、お兄さん・・・おはようございます。」
自分の我儘な願望を叶えるためには、いつかは向き合わなければばならないと思っていた相手
・・・伶菜の婚約者である佐橋さんの声も。
「今から僕のマンションに彼女の荷物を運びます。それで、お兄さんの部屋の鍵をお返しに伺いました。」
挨拶だけに留まらず、今から伶菜と一緒に過ごすみたいな報告までもを添えて。
『・・・・・・・・・』
人当たりもよく、仕事が丁寧で真面目そうな彼だから、予想なんてしていないんだろうな
俺が今さっきまで、いや、今、何を考えているか・・・なんて
彼女の兄貴である俺が
彼らの幸せな生活をぶち壊そう・・・だなんて
考えもつかないだろう
「お兄ちゃん、大丈夫?」
心配そうな声で俺の様子を窺う伶菜だってそうだ
佐橋さんとの結婚を反対しなかった俺が、
引越しする準備をする彼女の手を止めようとしなかった俺が
自分ではない男と結婚しようとしている彼女の行く手を阻もうとしているなんて
想像すらしていないだろう
自分が頭の中で ”今からしよう” と考えていること
それが正しいのか、それとも間違っているのか
どちらだと問えば、明らかに後者だろう
「お兄ちゃん、マンションの鍵・・・返しに」
『佐橋さん、俺・・・・』
それでも、伶菜から差し出された自宅の鍵を受け取ることなんかできない
それを受け取ってしまったら、彼らのこれからに立ち憚ることなんてできなくなる
俺を心配そうに見つめる彼女に返事をする余裕なんかもない
『俺は・・・キミの・・・』
そういう状況であるのは今、俺が向き合うべき人間は
『キミのところに・・・彼女を・・・』
「・・・・・・・・」
目の前で俺が何を言い出すのかを鋭い視線で凝視している
『伶菜を行かせてやることはできない・・・』
彼女の婚約者なのだから



