ラヴシークレットルーム Ⅰ お医者さんとの不器用な恋




『俺もそろそろ病棟に戻らなきゃな。』

飲んでいたほろ苦い缶コーヒーを飲み干し、医局の出入り口傍に置いてあるゴミ箱に入れてから、廊下へ出た。


「日詠先生。」

そのまま病棟に向かおうしたが、自分を呼ばれた声で一旦立ち止まる。
目の前には手に保険会社の社名が入った紙袋をぶらさげたスーツ姿の若い男性。


「先日、お声をかけさせて頂きました大和中央生命保険株式会社、名古屋支社の佐橋です。」

『あ、どうも。』

「もしよろしければ、今、3分だけお時間を頂けますか?」


10分だけ頂けますか?だったらハッキリと断るところだ
けれども、3分という微妙な時間が俺の足を引き留める


「ありがとうございます。」

立ち話で申し訳ないのですが・・と言いながら、その人は保険の見積書と書かれた書類を俺に差し出した。


「2パターン、用意させて頂きました。」

自分の氏名が記入された見積書が用意されていることに驚く。


見やすいレイアウト。
そこに直筆でわかりやすい説明が書き込まれている丁寧な見積書。
用意周到さにさすが営業マンと心の中で呟く。


「失礼承知でお伺いしてしまうのですが、日詠先生、近々ご結婚の予定のほうは・・・・」

まさか医局前の廊下とかで結婚の話を投げかけられるとは思ってはいなかった
けれども、差し出された見積書から伝わってくる彼の仕事に対する真剣な姿勢に


『・・・いえ。ありません。』

こちらも誠意を持って対応すべき

・・・そう思った。


その後も見積書に添って、無駄のないわかりやすい説明をしてくれる彼。


「こちらが先ほどお話したプランが載っているパンフレットです。」

『ありがとう。』

「日詠先生もお忙しいでしょうから、私はここで失礼致しますが、もし、この商品にご興味を持って頂けたようでしたら、いつでも声をかけて頂けると嬉しいです。」

医局でもよく見かける ”いい返事が貰えるまでぶら下がり追いかける営業マン” とは異なり、相手に考える時間と余裕を与えようという配慮。
それが彼の対応から充分に伝わってくる。


『わかりました。コレ、目を通させて頂きます。今から病棟へ向かわなくてはならないので、ここで失礼致します。』

「お忙しい中、貴重なお時間を頂きありがとうございました。」

爽やかな笑顔で俺に深々と一礼をしてくる姿からもそれが伝わってくる


医局では様々な営業マンに声をかけられるが、
今、目の前にいた彼とは、前向きに生命保険の話をしてみてもいいかもしれない
・・・そうも思った。