ラヴシークレットルーム Ⅰ お医者さんとの不器用な恋




「ちょっと隣に座らせて下さい。」

「ど、どうぞ。」


近くにあった丸椅子をずいっと自分のほうに寄せながら、流れるように腰掛けた彼。
その隣では倉田さんが驚いた顔で彼のほうへ振り返った。


バナナを無理矢理突きつけてくるような男だ
しかも、自分の腕に対する自信に満ちている男

何を言い出すんだろう?
それとも、ふたりの間に割って入ったほうがいいのか?


『今日は調子、どうかな?』

俺は別の新生児の様子を見るふりをして、彼等の様子に聞き耳を立てる。
不審者みたいなことをしているが、いつもここに足を運んでいることもあってか、周囲に怪しまれている感じはなさそうだ。


『ん?』

様子を窺っている耳に集中するも、彼等の声が聴こえているはずの左耳でも聴き取れない。
そのため、自分の存在に気付かれるリスクを承知の上で、じっと見ていた目の前にいる別の新生児から視線を彼等のほうへ移す。


「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」


彼等の声が聴こえないワケ。
それはどうやら俺の耳の聞こえの問題ではなく、会話を交わさないまま保育器の中のベビーをふたりでじっと見つめていたからだった。


その沈黙状態がどれぐらい続いたのだろう?



沈黙状態を打ち破ったのは、森村という医師ではなく、


「あの、森村・・・先生?」

「ん?どうしました?」


倉田さんのほうだった。



「先生が・・・・この子の腕を診て下さるんですか?」

「ええ。僕です。」

「あの~私、何から聴いていいのかわからなくて・・・」

「何からでもいいですよ。今でなくてもね。いつでもいい。」

肩肘張らずにふんわりと笑いながら彼女にそう返答した彼。


俺の中で想像していた彼は、ベビーの病状、今後の治療方針をどんどん説明して彼女からそれに対する同意を得るということを進めていくかと思っていた。

説明と同意を得てから治療を始める
・・・それが今日の医療の大前提だからだ。

それに、自信に満ちた彼ならば、彼のペースで事が運ぶ
・・・そう思っていた。


「いつでも、いい・・・んですか?」

「ええ、勿論。不安とか心配事とかは時を選ばずに湧き上がってくるものだと思ってますから。」

でも、彼女の隣にいる彼は、彼女のペースを掴もうとしているのがその言葉からも伝わって来る。

予想外の展開。
でも彼等を取り巻く空気から堅苦しい空気は一切伝わってこない。

伝わってくるのは、ゆったりと流れる時間の感覚。


『とりあえず、今の彼女は俺には用がないかもしれないな。』

自分の存在に気が付かれることでその空気が乱れてしまうことを避けたいと思った俺は、結局彼等に声をかけないまま、一足早くNICUを後にした。