「彼女のことはそっとしておいてくれませんか?」
今回、新生児に腕神経叢麻痺が起こった経緯を母親である患者自身にも説明しようとした。
しかし、丁度彼女の病室の前にいた彼女のご主人が ”ショックが大きいから自分から説明する” と言われ、俺が彼女へ直接説明することを拒否された。
その彼女は毎日、NICUを訪れ、保育器の中にいる彼女の赤ちゃんの動かない右腕をさすりながら、涙を流す。
今、俺ができることは、彼女の体調の管理と心の動きを見つめるだけ。
そのもどかしさを感じながら、いつもの倍ぐらいの業務をこなす。
奥野さん達、他の産科に関わる医師達も俺と同じように自分の担当患者さん達だけでなく、久保が担当している患者さんをも診るという忙しさに追われていた。
それぞれが自分がするべき仕事に必死だった。
それぞれが体力的にも精神的にも疲弊し始めていた。
だから、休暇を取っている久保の行方を追える人間は誰もいなかった。
誰もが皆、久保は自宅で心身共にゆっくり休めているのだと思っていた。
そして、久保が部長に辞表を提出してから3日後の産科ナースステーションでの朝の申し送り中。
「日詠くん、奥野くん、ちょっといいか?」
電話がかかってきて席を外していた部長が顔を歪めながら産科ナースステーションへ入ってくるなり、奥野さんと俺を部長室へ呼び出した。
「落ち着いて聴いて欲しい。」
明らかにいつもとは異なる蒼白い顔でそう言う部長。
そんな顔で言われても、落ち着いてなんかいられないし、
そういうフレーズの後はとんでもないことが飛び出してくるのが通例みたいなものだ
奥野さんもそう感じたのだろうか?
ちょっとやそっとのことでは動じないはずの彼女も俺のほうを見て、なんだろうと言いたげな目配せをした。
「久保くんが・・・」
やっぱり退職したいと言ってきたのか?
でも、今までもそういう若手の医師は結構いた
だから、部長も退職如きでは驚かなくなっているはずだ
だったらなんだ?
久保がどうした?
「久保くん?久保くんがどうしたんですか?部長・・・」
奥野さんが俺の白衣をぎゅっと掴みながら、部長を急かす。
部長の言葉の先が怖くても
呼ばれた俺達はちゃんと聴かなきゃいけない
「ここの屋上から飛び降りて、心肺停止状態・・・だそうだ。」
誰が?
誰がこの屋上から飛び降りて、心肺停止状態なんだ?



