額が冷たくなっていることに気づき、目を開けると無機質な白い天井が見える。

「ここはどこ…?」

 どうやらわたしの部屋でも無さそうだ。しかも、何故かわたしはソファーの上で横になっていて、それも毛布まで掛けられている。額には濡れたタオルが置かれていた。
 起き上がり辺りを見渡すとテレビにソファー、丸いテーブルが置いてあるだけの部屋にいた。家具が全体的に白を基調としている。とてもシンプルなつくりだ。
 わたしは立ち上がると、出窓に置いてある花瓶の中に花を見つけた。
 青い花…造花かな?名前なんて言うんだろう。小さくて綺麗。
 青い花を見つめていると、後ろからドアの開く音がした。

「気づいたみたいだね。葵さん大丈夫?」

 振り向くとそこには私服に着替えた細川君が立っていた。

「細川君!? なんで細川君がいるの?」
「どうやら何もかも覚えてないみたいだね」

 細川君がわざとらしくため息をつく。

「なんか、わたしが気づかないうちにいろいろしてもらったみたいでごめんなさい……その……何があったの?」

 わたしが謝ると、細川君は置いていった椅子に座り、珍しく口を開き説明をしてくれた。


 わたしが公園のベンチで寝ていたところを見つけて声をかけたこと。
 でも、わたしがまたすぐに気を失っちゃって仕方なく細川君の家まで連れてきてくれたこと。
 その途中で雨が降って来て、わたしの鞄が濡れてしまい乾かしているということ。
 一応傘を差していたけど、わたし自身も濡れてしまっているかもしれないということ。


 ざっくりとした一連の説明を聞き終えるとわたしは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「本当に迷惑かけちゃったみたいで、ごめん」

 わたしは素直に謝る。

「気にしなくていいよ」

 細川君はいつもの素っ気ない態度で答えた。

「細川君は風邪とか引いてない?」

 細川君の方が心配になる。髪の毛がまだ濡れているし、わたしの心配ばかりしているけど細川君は雨に打たれて来たのだろう。

「別に」

 細川君は素っ気ないままだ。
 わたしが話を続けようとしてもなかなか続けることが出来ない。静寂の時間が続く。
 不意に細川君が立ち上がった。

「どうしたの?」

 わたしが問いかける。

「飲み物を取りに行くだけ、カフェオレ飲める?」
「うん」

 わたしが答えると細川君はなにも言わずに部屋を出ていった。

 やることがなくて、また青い花を見つめている。この花を見つめているとなんだか心が落ち着く気がした。今思うと細川君って冷たいし素っ気ないけど、実は細かい気遣いをしてくれて優しさを感じる。夏にカフェオレ?熱いって思うけど、身体を冷やしたわたしのことを考えてくれているのだろう。

「その花の名前勿忘草って言うんだよ」

 扉を開けた細川君が手に持っているマグカップをテーブルに置いた。

「勿忘草?」

 細川君から話題を出てきたことが珍しくてわたしは思わず聞き返した。

「うん。勿忘草。花言葉は真実の愛。造花だから僕が幼い頃からずっと飾ってある」
「幼い頃から?なんでそんなに長い間ずっと……」

 いくら美しい花とはいえ長い間ずっと飾っていたら飽きてしまうだろう。たいていの場合季節の変わり目に花を変えるのが普通だ。

「前に母さんに聞いたら離婚した父さんに貰ったものらしい。だから、ずっと飾ってあるんだって。花言葉が真実の愛なのに、離婚したあともずっと飾ってあるってなんか変だよね」

 細川君はそう言って苦笑いする。

「なんか聞いちゃいけないことまで聞いた気がしてごめん」

 わたしは他人の家族に関して首を突っ込めるほど偉くはない。

「離婚のこと?気にしなくていいよ。僕が物心つく前に別れたから父さんの顔なんて覚えてないから」
「そう言うならいいけど、色々と本当にごめんね」

 今日のわたしは冴えてない。熱のせいもあるだろうがヘマばかりしてしまう。わたしはテーブルに置かれていたカフェオレを口にした。

「時間大丈夫かな?そろそろ7時半になるけど」

 もうそんなに時間が経っていたのか、早く帰らなければならない親が心配してしまう。

「わたしが帰らないと親が心配しちゃう。今日はありがとう。細川君って意外と優しいんだね」
「一言余計……外はもう暗いし家まで送ってく」
「そんなことしなくていいのに、細川君は家でゆっくり休んで。夏とはいえ外は少し寒いし、細川君がわたしの風邪をもらっちゃって、風邪ひいたら大変よ」
「僕は元気だから大丈夫。しかもそれ病人が言うセリフじゃない。それよりまた帰り道赤井さんの体調悪くなったら大変でしょ? それに女の子1人を夜歩かせるわけにはいかない」

 確かに言われてみればそうかもしれない。わたしの体調は少し良くなったとはいえ、とても万全と言える状態ではない。帰り道また1人で倒れてしまったらどうするのだろう。細川君に悪いなとは思いつつ、今回は細川君の優しさに甘えることにした。

「そっか、じゃあお願い」

 と言ってわたしは、座っていたソファーから立ち上がった。その瞬間、わたしはひどい立ちくらみを起こしその場から崩れ落ちそうになった。目の前には机がある。このまま倒れると机に頭をぶつけそうだ。

「危ない!」

 細川くんの声が聞こえる。でも、もう自分ではどうしようもできない。部屋が傾いて見える。このまま倒れてしまうのだろう。そう思った時、わたしの左手が細川君の右手によって思いっきり引かれた。そして、細川君のもう片方の手はわたしの背中に回される。左手を引かれたことによって私と細川君の距離が一気に縮まった。上から見下ろす細川君の前髪が私の鼻に触れる。

 ──顔が近い。

 心拍数が上がり、体温が一気に上昇する。恥ずかしくてどうすればいいか分からず、わたしは思わず口を開けたまま細川君と見つめ合ってしまった。
 その瞬間、目の前が真っ白になり変な夢を見た。
 

 太陽の光が眩しく照りつけ、雲ひとつない青空が広がっている。目の前には、わたしの幼い頃のお父さんとお母さんがいる。どうやらここはわたしが昔通っていた、星空幼稚園のようだ。目の前にある建物がよく似ている。それになぜか保護者が沢山いる。それにしても私は何故ここにいるのだろう。

「葵ちゃん、今日は運動会頑張ってるね!」

 お母さんがわたしに言っている。なるほど、運動会か。
 わたしはどうやら幼稚園の頃の記憶を見ているようだ。

「俺も張り切って沢山葵の写真撮っちゃうからなー!」

 お父さんが意気込んでいる。

「全くあなたは、親バカなんですから、写真ばっかり撮って、容量が無くなっても知りませんよ?」
「親が娘を可愛がって写真撮るのは当たり前ですよねー? 葵ちゃん」

 と言ってお父さんはわたしの頭を撫でた。
 わたしのお父さんってこんなにわたしの事可愛がっていてくれてたんだ……。
 最近お父さんに反発ばっかりしちゃってるけど、少しは言うこと聞いてあげようと思った。
 そんな時、わたしの後ろにいた男子児童がわたしの手に持っていたハンカチを奪っていった。そのハンカチは、おばあちゃんに買ってもらったものでキャラクターのイラストが描かれている。わたしが幼い頃に大事にしていたお気に入りのものだ。

「まって!」

 取り返そうとするが、相手は足が速く追いつかない。疲れて歩いていると、さっきの男子がやって来て、そのまま、その男子児童はどこから持ってきたか分からないマジックペンでわたしのハンカチに落書きをし始めた。わたしが無理やり取り返すとそこには、大きな文字で「ばーか」と書かれてた。
 それを見るなり幼稚園児だったわたしは悲しくなってその場で大声で泣いてしまった。なにせ、お気に入りだったものに落書きされてしまったのだ。
 何が起きたかと周りの大人達がこっちに注目している。わたしが泣き始めたのに驚いたのか、落書きをした男子児童はその場から逃げてしまった。
 そのうちわたしのお母さんがやって来た。

「葵は強い子なんだから、泣いちゃだめよ。どうしたの?」

 泣きじゃくるわたしに聞いてくる。

「あの、あのね、男子が…わたしのハンカチ…落書きして…ばーかって書かれちゃったの…」

 わたしは泣きながら答える。そしてそのハンカチをお母さんに渡してみせた。

「あらあら、また新しいの買ってあげるから泣かないで?」
「でも、わたしはそのハンカチがいいの!おばあちゃんから貰ったのがよかったの!」

 泣きながらお母さんに訴えるが、その思いはなかなか通じない。
 結局そのハンカチはもう二度大事にしていたあの頃の状態には戻らなかったんだっけ。過去の思い出にふけていると突然また目の前が真っ白になる。


 気づくとわたしはソファーの上に寝ており、細川君はその横に座っていた。

「どうしたの?赤井さんが倒れるのを助けれたのはいいけど、そのまま急にボーっとしちゃうからさ」

 心配そうに細川君がわたしに尋ねる。

「なんか、細川君と目が合ったと思ったのと同時に、目の前が真っ白になって。過去のわたしの思い出と同じ夢?を見たんだよね」
「それって幼稚園の頃の?」

 細川君が何も無い壁を見つめながらわたしに聞き返した。
 図星だ。それにしてもなぜ幼稚園と分かったのだろう。わたしは高校2年生なんだし、小学生や中学生の頃の思い出の方が多い。しかも、わたしが幼稚園じゃなくて保育園に通っていた可能性もあるのに。
 細川君は謎めいている。いつもなら流すところも疑問に思ったわたしは、細川君に聞いてみることにした。

「なんで細川君は、幼稚園の頃の思い出って分かったの? 過去の思い出なら小学生や中学生の方が多い、それにわたしが幼稚園じゃなくて保育園に通っていた可能性もあるのに」

 細川君はわたしの話を黙って聞いている。
 それをいいことに、わたしはさらにたたみかけることにした。

「しかもさ、毎回思ってたんだけど、細川君と出会って目が合う度に一瞬意識が飛んで、気づいたら細川君はもうそこにはいなくなってるんだよね。今日も細川君と目が合ったと思ったら、過去のことを思いだしちゃったし、もしかして、本当に特殊能力か何か持ってるの? わたしはそういうの全然信じないタイプだけど、実際体験すると気になっちゃうんだよね」

 細川君は相変わらず話を黙って聞いているだけだ。
 奇妙な沈黙が続く。
 さすがに変なこと言い過ぎちゃったかな。今のことはなんでもない。気にしないで、と言おうとした時だった。

「僕には、まだ誰にも言っていない秘密があるんだ」

 と細川君は言った。

「え、秘密?」

 思わず声に出してしまった。そしてただ呆然とするしかなかった。