「人は迷う生き物だ。それは我々神が、人に生を宿す時、必ずいくつもの試練を与えているからだ。それをどう乗り越えるかが、課せられているのだよ」


神様はベンチに座り直し、参拝客を眺めた。私もその視線を追い、ちらほら訪れる人々を見る。

その影は、少し長くなっていた。


「どんな道に進んでも、それは決して間違っていない。それはその人にとって正しい道だ。だって、どう頑張っても過去には戻れないのだから」


そうだ。当たり前のことなのに、私たちは異様に過去に縋り付く。


あの時こうしていれば、今は違ったかもしれないと、結局変わらない現状から目を逸らす。


私だって、何度もあった。数え切れないほど沢山、小さなことから大きな問題まで後悔した。


どうしようもないことに対して、悩み苦しんだ。


過去に戻れないことなんて、わかっているはずなのにわかっていなかった。



「時々、敦史のように死の道へ進むか迷っている人間もやって来る。事情はそれぞれだが、それでも死を決断するのなら、それもまたその人の正しい道なのかもしれない。

ただ、試練というものは一時的なものだ。時は必ず流れるし、その人の行動次第でどうにでも変えることができる。

その一時的な感情に支配されて、全てを終わらせてしまうのは勿体なくはないだろうか」


神様は固く拳を作っていた。きっと、今まで何人もの人々を助けてきた中で、辛かったことも何度かあったのだと思う。


でも私は、今現在その一時的な試練や感情に支配されている。多分、私以外にも、この世にはそういう人がたくさんいるはずだ。


苦しくて、脱出したいのに、どうしたらいいかわからない。

同じ地点で同じ考えを延々と繰り返す辛さ。逃げてしまいたくなる気持ちはよくわかる。


「それでも、わかっていても支配されてしまうんです。終わりが、先が、未来が見えないから……」


神様は小さく「そうだな」と言って、作っていた拳を壊した。