たとえ君が・・・

多香子は勤務が終わると一人暮らしをしているアパートに帰宅した。病院からは近く、いつも歩いて帰宅する。一人暮らし用のワンルームの部屋はかなり几帳面に整頓されている。

玄関には観葉植物が飾られ、部屋に入ると奥にベッド、隣に小さなサイドボード。そして中央には白い絨毯の上に小さなテーブルが置かれている。サイドボードの上にはライトと花のモチーフの陶器の置物にチェーンにかかったふたつの結婚指輪。

「ただいま。」
多香子はその二つの指輪の大きな方の指輪に触れた。

こうしてこの指輪に触れる日々を繰り返して5年が経とうとしている。
最後に泣いたのはいつだろうか・・・。今では涙も出なくなった。大きな悲しみを経験しても人の心は慣れてしまうのだろうかと多香子は怖かった。

いつか、自分の心は本当に喜びも悲しみも感じなくなってしまうのではないだろうか・・・。
そんな考えが溢れそうになり、多香子は立ち上がった。

いつものようにシャワーを浴びて、髪を乾かし、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出すと部屋に戻った。

たったひとりの部屋では多香子の足音や呼吸の音しか聞こえない。