たとえ君が・・・

「妊娠12週を過ぎると母体への負担が大きくなります。1、2週以内に決断してください。」
患者は渉の言葉に涙を流し始める。
「結婚して8年。ずっと授かることのできなかった命をなぜこのタイミングで授かるんでしょうか・・・。もう遅いのに・・・。」
「わかりません。でももしあなたがこの命に理由があると思うならば、決断の時間は短いですが、向き合い考えてください。その理由を知っているのは、我々ではなくあなたとご主人ではありませんか?」
渉は精一杯この患者にエールを送っている。絶対にこの患者は堕胎したら決断を後悔する。その姿が目に浮かぶ。それに堕胎手術は患者にとっても負担が大きい。患者はまだ30歳。いろいろなことを考え、渉は願っているんだ。
「次回、お待ちしています。」
患者は涙を拭きながら診察室を出た。

こういう時、渉には気持ちを切り替える時間が必要だと多香子は知っている。
あえて少しの時間カルテを整理して次の患者を呼ぶまでに時間をかける。
そして渉の気持ちが切り替わりそうというタイミングで次の患者を呼んでいた。

この阿吽の呼吸ができるのも、渉には多香子しかいなかった。