「そうそう、岸さんといえば」

 彼女がぱあっと表情を明るくして言いかけたとき、
「俺といえば、なに」
 まさかの岸さん本人が通りかかった。意匠部のそばの廊下なんだから別におかしくはないのだけど、こんなタイミングで声がしたら誰だって驚く。

「なんでもないです。結衣ちゃん、またね」

 岸さんの脇をするりと抜けて、彼女は去った。


 岸さんは出入り口のところに立ったままで、給湯室には入ろうとしなかった。

「出張だったそうですね」 
「ああ」


 返事を受けても、私は次の言葉が出なかった。
 旅行じゃないんだもんな、仕事だもんな、楽しかったですかと聞くのもおかしいかな、などと思っていた。

 俺に、と岸さんの声がした。
 私は目だけをそちらに向ける。

「会えなくて寂しかった?」

「……寂しかったです」

「八つ橋食いながら言うなよ」

 あ、ついぼんやりして食べてたわ。
 食べますか、と一応岸さんにも薦めたのだけど、それ苦手だと断られた。

「岸さんは寂しかったり、しなさそうですね」

「いや」

 間髪おかずに反応があって、耳を疑った。
 いや? 否?

「そうだ、渡すものがあるから少しここにいてくれ」

 どうせついでに持っていってという図面かなにかでしょ、と私は麦茶をいただきながら待つことにする。