岸さんはアケミさんの息子だった。お兄さんがお嫁さんをもらったのを機に、次男である岸さんは実家を出たのだという。
 アケミさんが怪我をして休んでいるのは知っていて、ときどき実家に顔を出すようにしていたけれど、それでも復帰が気がかりだったから、こうして様子を見にきたのだそうだ。
 うちの会社、親子や夫婦で勤めている人達がいるのは知っていたけれど、岸さんもそうだったとは。

 知らなかったと私が言うと、みんな知っているよと岸さんはさらりと答えた。

「俺が手伝いに行けばよかったのかもと、名取さんに言われて考えた」

「それはダメですって。岸さん、大事な接客もあるでしょうし」

 今日みたいに、と言外にほのめかす。


 普段はジーンズとかラフな格好でいる岸さんも、来客があるときは会社でスーツに着替えている。
 今も暗い色のスーツ姿だ。営業部を交えた接客を終えてきたところだという。
 私はまっすぐにした伸子の束を片手に、岸さんは手ぶらで、友禅部へ向かっているところだ。

「そんなことよりさっきの。嫁ぎ先を絶賛募集するのはよくない」

「一般論はいりません。いつか見つかるって意味で言ってるんでしょうけど、慰めで結婚できるわけでもないし」

「君はちゃんとかわいいから」

「どうもありがとうございますー」

 投げやりな態度が気にくわなかったのか、岸さんは明らかにむっとした顔つきになると、私の進路を遮るように足を止めた。

 私は自分の抱えている伸子が岸さんに刺さりやしないかとはらはらした。
 伸子は一本や二本ではない。五百本くらいを紐でくくったひとかたまり、その先端全てにミリ単位の針がついている。

「少なくとも俺は、かわいいと思ってる」

 瞬間、バラバラバラと音を立てて伸子が床に落っこちた。