責めたいわけじゃない。
 忙しいのだと、会えない理由も聞いていて、事情は頭ではわかっている。
 黙っていることが正解なのか、なにかしら気持ちを漏らすのが適切なのか。
 こんなとき、どうしたらいいのかが、わからない。


「わかった」

 岸さんの醒めたような声が聞こえ、身体がびくついた。

「入って」

 無理強いしたようだ。雰囲気は最悪。
 足下を見つめたまま、私は岸さんの部屋に入りかけた。
 そこであることに気づいた。


 よく知っている匂いがした。馴染み深い、仕事で使う材料の匂いだった。もう少し言うと、友禅染である程度の広い箇所を筆で塗る際にムラにならないようにするための糊材だ。石油のような接着剤のような独特の匂いで、苦手だという人もいる。
 玄関のたたきで私はそれ以上進めなくなった。

「この匂い……糊材ですよね」

「容器にラップしていたんだけど、やっぱり匂いは残るか」

 岸さんは窓を開けはなち、エアコンを入れた。

「ここで描きの仕事をしてたんですか。私は他社の人間で柄を見せられないから、だから部屋に入れられないってこと?」

 描きの内職指導でも、反物を広げているときは他社の人を入れないようにしてもらっているし、テレビの取材のときだって、世の中に流通した柄しか見せていない。売れ筋を盗用されないようにするためだ。

「それならそう言ってくれればいいのに」