私は見下ろされて胸がいっぱいになった。言葉に詰まる。

「私もこんな……岸さんが浴衣着てるとは思わなかったです」

「早く帰って着替えたい」

「そんなこと言われたら、私と出かけるときにも着てって言いにくくなるんですけど」

 ううん、違う、と首を横に振る。

「似合ってます。でも、浴衣を着るのを抜け駆けされたみたいで悔しい。むかつく」

 岸さんはなにも言わなかった。
 穂佳ちゃんから降りてきて大丈夫との連絡が入り、下の階に向かった。岸さんの会社の人たちはいなかった。
 タクシー乗り場で空車を待つ。ちょうど目の前で一台が走り去ったところだった。

「結衣ちゃんは怒っているだろうけど、俺は会えてかなり嬉しい。会えるなんて思ってなかったから」

「ずるい」

「なにが」

「いろいろ」

 会えて嬉しいと言っちゃうところも、結衣ちゃんって久々に呼ぶところも、このタイミングで手を繋ぐのも、私から反論の力を削いでいく。突っ張るのもバカらしくなる。

「岸さんが結衣ちゃんて呼ぶの、久々に聞いたよ?」

「そうか」

「欲を言うとこのまま手でもつないで歩いて帰りたい。無理だけど」

「叶えてあげたいけど、さすがに無理だ」

 今にも角からタクシーが現れそうで、話しながら来るな来るなと願っていた。他愛ない話を続けていたくて。


 タクシーは岸さんのマンションへ向かった。泊まっていいのかという会話をタクシーのなかでしていいものなのか、逡巡しているうちに着いた。岸さんが支払いを済ませる。
 最寄りのバスはまだ走っている時間だ。帰ろうと思えば帰れる。

「あ」

 部屋の鍵を開けようとしていた岸さんの動きが止まった。