次の日からまたいつも通りの仕事が始まった。
 しばらく休むと勘が鈍る感じがして、いつものようにテキパキとは動けない。
 それでも年が明けるのを待ってましたと言わんばかりに、大量の指示書が回ってくる。
 これは残業間違い無し。
 純平よりも早く帰って夕食の支度をするって決めていたのに、出鼻をくじかれてしまった。

「めぐみ、これお願い」
「オッケー」

 社員が一丸となって働く姿は好きだった。
 みんなが頑張っていると、わたしもって気持ちになれるから。

「小田さん、買い物頼めるかな?」
「池田主任、何言ってるんですか! 見てください、この指示書の量を。今は外せません」

 初めてだった。
 今まで上司の頼み事を断った事は無い。
 それでも、あなた回りが見えてますか?
 それでも上司ですかってカチンと来てしまった。
 忙しいと心に余裕が無くなって、ついイラッとしてしまう。

「それじゃ、大野さん、頼めるか?」
「無理です! 主任、行ける人を探す暇があったら自分で行って下さい」

 ピシャッと返すめぐみにスカッとした。

 慌しい午前の仕事が終わり、わたしとめぐみはふらふらになりながら食堂に向かった。

「初日からハード過ぎでしょー」
「ホントよね。勘弁してぇー」

 疲れ過ぎると食欲が落ちる。
 前の席に座っためぐみはそうではないみたいで、いつもに増して大きなお弁当箱に目を輝かせている。

「それ、いつもより大きいよね?」
「新年が明けてしばらくは忙しいじゃない。食べなきゃ夜までもたないよ。そういう清美は食欲なさそうね」
「疲れたら入らない」
「まぁ~デリケート。わたし、風邪をひいても食欲落ちたことないよ」
「そういえばそうね。めぐみが食欲ないって言ってるの聞いたことないかも」
「さっ、食べよう!」

 めぐみの美味しそうに食べる姿を見ていると、それをおかずに少しは食べる事が出来た。

「お疲れ様」
「あっ、奈々美。あれっ? 今日は純平は?」
「商談に出かけてる。夕方まで戻らないそうよ」
「そうなんだ。丁度いいわ。それじゃ昨日、三人になった時に話すって言ってた事、ここで聞かせてよ」
「清美、よく覚えてたね。でも、わたしも聞きたい」
「うん。それじゃ食べながら」

 奈々美は、小さなお弁当箱の蓋を開ける。
 いつ見ても、奈々美のお弁当はかわいい。
 まどかちゃんに作ってあげるついでに、自分のも詰めて来るからだ。
 さすがにおにぎりをキャラクターの顔に仕上げるのはまどかちゃん用だけらしいが、色合いがカラフルだ。
 生活費を削ってでも、まどかちゃんには可愛い服を着せ、凝ったお弁当を持たせ、不自由のないようにと頑張っていた。
 
「実はね、こないだ公園でまどかを遊ばせていたら、あの人が来たのよ」
「あの人って、まどかちゃんのお父さん?」
「そう。日曜日の昼間、いろんな公園を回ってたらしいわ。私たちと会えるかもしれないと思って」
「それで?」
「あの人、やっぱりまどかが自分の娘だと思っていたみたいで、おもちゃでも買ってやれって、封筒を渡されたの」
「えっ?」
「もちろん断った。でも、どうしてもってきかないし、周りに人もたくさんいたから問題起こしたくなくて受け取っちゃった。そして、家に帰って開けてみたら、十万円入ってたの」
「十万も?」
「そう。それとね、手紙も入ってた」
「で、何て書いてあったの?」
「もう一度やり直したいって。真面目に働いて、毎月お金も渡したいって」
「奈々美、信じちゃダメよ。また辛い思いするに決まってる」
 
 そう言ったのはめぐみだった。
 わたしは、そうは思わない。
 どこにいるかもわからない奈々美達を探してたんだもん。
 本当に会いたかったんだと思う。
 それに、今の奈々美の表情からは、憎しみも戸惑いも感じられない。

「わたし、迷ってる」
「迷ってる? 絶対やめなって。騙されてるんだよ」
「奈々美、わたしは信じてもいいと思うよ」
「ちょっと清美、あんた何てこと言ってるのよ。それで奈々美が辛い思いをしてもいいの?」
「清美、ありがとう。わたしも、もう一度信じてみようかなって思ってる。二人に話して、二人から反対されたら止めようと思ってた」
「一人でも、わたしは反対」
「めぐみ、ありがとう。わたしなんかを心配してくれて」

 昼休みの間中、ずっと反対という意見を曲げなかっためぐみ。
 もし奈々美が不幸になったら、責任取れるのかと言われてちょっと不安になったけど、どうしても彼が悪い人だとは思えない。
 以前叩いた時は、本当に嫌な男だと思ったけど、今はその気持ちは消えていた。
 当の奈々美ももう一度信じてみたいという思いだし、わたしもそう思う。

 午後の仕事が始まった。
 奈々美の事も忘れるくらい、怒涛の忙しさが押し寄せて来た。
 
「清美、この商品あった?」
「朝見た時はFの棚にあったよ」
「そこ、今見て来たんだよね」
「そんなに出たっけ? 箱単位で残ってたはずだけど?」
「調べてみる。ごめん、手を止めさせちゃって」
「ううん、大丈夫だよ」

 一緒に調べてあげる暇も無い。
 おまけにゆっくり歩いている時間ももったいなくて、倉庫のメンバーはみんな走り回っていた。

 そんな嵐のような時間が流れる中でも、生理現象は襲ってくる。
 時刻は四時。
 
「トイレ行って来ます」

 そばにいた社員に声を掛け廊下に出ると、純平が廊下の向こうから歩いて来ていた。

「よっ、清美」
「お疲れ様。今戻ったの?」
「ああ」
「あのね、わたし今日、かなり遅くなると思うから、ご飯作れそうにないの。先に帰って、ご飯だけ炊いておいてくれる?」
「食事の心配はしなくていいよ。俺が作っとくから。それより、終わったら電話して。迎えに来るよ」
「いいわよ、子どもじゃないんだから、一人で帰って来るわ」
「それじゃ、駅に着いたら電話して。そこまでならいいだろ?」
「わかった。それじゃ」
 
 駅に着いたのは、午後九時過ぎだった。
 電車の中から、もうすぐ着くと連絡しておいたので、改札口を出ると、純平が待っていてくれた。

「お帰り」
「ただいま」

 手を繋いでマンションまでの道を歩く。
 誰も通ってはいなかった。
 迎えに来てもらって正解。
 この道を一人で帰るのはちょっと怖かったかも。

「おかず温めるから、手を洗っておいで」
「ありがとう」

 彼は、わたしと一緒に食べようと待っていてくれた。
 テーブルにあったのは、豚のしょうが焼きとサラダ、そしてお味噌汁。

「良いにおい!」
「それじゃ食べようか」
「頂きます」

 誰かに作ってもらえる幸せ。
 その温かさは料理の美味しさにも反映されている。

「今日は本当に疲れた。明日も忙しいのかなぁ?」
「年が明けたら、どの部署も1週間くらいは忙しいよ。特に倉庫は」
「そうね。そう言えば去年もバテてたかも」

 去年までは仕事で疲れて帰っても、母が家の事は何でもやってくれていたので、わたしは仕事に集中出来ていた。
 結婚したらそういう訳にもいかない。
 とはいうものの、初めから純平に負担をかけてばかりだ。
 こんなはずじゃなかったのに。
 
「清美、何考えてる?」
「ごめんね。家の事出来なくて」
「お互い様って言ったろ。手が空いてる方がすれば良いことなんだから」
「でも……」
「清美、もっと俺を頼っていいんだよ。清美の性格上、自分が出来ない事に対して罪悪感を持っているかもしれない。でも、そんな事思わないで」
「わかった」
「よし」

 それから一週間が過ぎた。
 あんなに忙しかったのが嘘のように、今日は朝からゆっくり出来た。
 それは午後になっても同じだった。
 今日はもしかしたら定時で上がれるかもしれない。
 そう願って、一生懸命に仕事に励んだ。

 そして、定時で帰れる事になった。
 嬉しい。
 ちゃんとご飯を用意して純平の帰りを待つ事が出来る。
 結婚して妻になったのに、ちゃんと家庭の事が出来ないのは辛かった。
 純平はそんな事は思わないでって言うけれど、わたしの中にあった理想が、どうしても黙ってくれない。
 思わないでいる事がどうしても出来なかった。
 
 総務部の前を通り過ぎる時、中にいた彼に先に帰る合図を送る。
 うなづいて手を上げる純平。
 わたしは電車に乗って帰宅した。

 まずは窓を開けて空気を入れ替える。
 その後続けて夕食の準備。
 まだ手際が良くないわたしは、余裕を持って始めないと彼の帰りに間に合わない。
 と言っても簡単なものしか作れないけど。

 彼が帰って来たのは、二十時頃だった。

「ただいま」
「お帰りなさい」

 玄関まで行き彼を出迎える。

「たまにはいいな。こういうのって」
「うん」

 二人で照れ笑い。
 彼が着替えている間に、大急ぎで味噌汁を温め直す。

「じゃじゃーん……っていうほどでもないけど、作ってみました」
「旨そうじゃん。では早速」

 彼が最初に手を付けたのは肉じゃがだった。

「うん、旨い。よく味が滲み込んでる」
「本当?」
 
 人から料理を褒められるなんて経験が無いから、凄く嬉しい。
 褒められるとまた美味しいのを作っちゃおうって気になるから、段々上手くなれるんだろうね。

「味噌汁の味もバッチリじゃん」
「そう? ちょっと薄くない?」
「ううん、このくらいが丁度口に合うよ」

 良かった。
 きっと甘めの評価なんだろうけど、嬉しい事には変わりない。

「見てるだけじゃなくて、食べなよ」
「そうね。頂きます」

 こうしてわたし達は、いろんな話をしながら夕食を終えた。
 後片付けは二人並んでやった。
 純平は本当に優しい。
 わたしって、本当に幸せ者だ。
 お風呂に入り、しばらくリビングでテレビを観た後、お姫様抱っこでベッドに入る。
 その後はもちろん……