週末になった。
 今日はわたしの誕生日。
 林田くんが予約してくれた店で、鶴田さんと三人で誕生会。
 あれから林田くんは、まだ本調子ではないけれど、頑張ってくれている。
 純平さんとは何だかギクシャクしちゃって、メールで話すだけで直接声は聞いていない。
 めぐみに様子を尋ねると、会社でも不機嫌みたい。
 いい年した大人が、嫉妬し過ぎでしょ。
 もっとわたしを信じてよ。
 林田くんとの間には何もないんだから。

「それじゃ、行こうか」

 倉庫を閉め、わたし達は彼が予約してくれた居酒屋に出掛けた。
 会社からは歩いて十分。
 メイン通りに面したわりと大きな店だった。

「一つ大きな通りに出ると、急に賑やかになるのね」
「そうだね。会社がある通りには、飲食店は一軒も無いもんな」

「いらっしゃい!」

 威勢の良い店員さんに案内され、個室に入った。

「まずはビール」

 何も言ってないのに勝手に注文する林田くん。
 そうだ。
 今日から飲めるんだった。
 何だかまだ実感が無い。
 わたし、二十歳になったんだ。

「それじゃ、清美ちゃんの二十歳の誕生日を祝して、乾杯!」
「ありがとう」

 二人にお礼を言い、ジョッキに口をつけて喉に流し込んだ。

「美味しいー」
「あー、生き返った」
「うん、旨い」

 ビールがこんなに美味しく感じたのは初めてだった。
 続けて、刺身の盛り合わせ、サラダ、から揚げなどが次々と運ばれて来る。

「いただきまーす」

 ここにめぐみがいたら、目を輝かせて頬張っていただろう。
 会いたいな。
 去年の誕生日はめぐみに祝ってもらった。
 まだ純平さんと付き合ってなかったしね。

 純平さん、どうしてるかな。
 
「ところでめぐみは彼氏出来た?」
「ううん、まだよ。林田くん、本社にいる間に告白すれば良かったのに」
「えっ?」
「好きなんでしょ? めぐみの事。じゃないと、あんなに絶妙な掛け合い出来ないもん」
「まあ確かにあいつと話すのは楽しかったよ。だけど、好きとは違うな」
「あらそれじゃ、他に好きな人がいるの?」
「いや、まあ、気になる子はいるけど」

 林田くんの好きな子って誰だろう。
 もしかしたら、受付のお姉さん?
 あの人、美人だったもんな。
 あ、それとも鶴田さんに惚れちゃった?
 そう思って見ると、この二人、なかなかお似合いな気がする。

「林田くんって、元々福岡の人?」
「ああ。そう言う鶴田さんは、ずっと鹿児島に?」
「小学校までは熊本にいたの。母が向こうの人だから」
「それじゃ、新しいお父さんがこっちの人なんだ」
「そうよ」
「俺、鹿児島に転勤になるまでの二十二年間、ずっと福岡にいたから、こっちに来てずっと帰りたくて仕方ないよ」
「えっ、待って。二十二年間って、それじゃ林田くんって年上なの?」
「知らなかった?」
「小田さんがタメで話してるから、てっきり同じ年かと思ってた」
「林田くん、精神年齢はわたしと同じだからいーのいーの」
「同じじゃないっつーの」
「あら、ごめんなさい。もっと下だったかしら?」
「よく言うよ」
「二人とも、仲がいいのね」
「まあ、こんな感じでじゃれ合ってます」
 
 二歳も年上なんて、全然思えない。
 男の人は苦手だったけど、林田くんとは初めからフレンドリーに話せたっけ。
 きっとめぐみがいたからだろうけど。
 あの子は誰とでもすぐに打ち解ける。
 さすがに十歳も年の離れた純平さんには敬語だけど、五歳くらいだったらお構いなしにタメ口で話しかける。
 そんなめぐみと同じ空間にいると、わたしまで移っちゃうんだよね。
 林田くんと普通に話せるようになったのは、間違いなくめぐみのお陰だ。

「清美、次行こー」
「林田くん、酔うと何で呼び捨てになるのよー」
「いいじゃん、俺より年下だし」
「そうだそうだー、みんな名前で呼んじゃおう~」
「鶴田さんまで酔ってるし」
「そういう清美はどーなのさ?」
「まだ酔ってないし」
「そんじゃ、もっと飲め」

 そんな事言っても、初めて記憶を無くした時の事が頭を過ぎる。
 あの時は気持ち良かったな~
 でも、ここであの状態になるのはマズイ気がする。
 だって、わたし以外の二人がかなりヤバいもん。

「清美~飲め飲め。俺がおんぶして帰ってやるからよ」
「あ~いいな~わたしも抱っこ~」
「よ~し、そんじゃ美咲は抱っこな」
「やったー」

 ったく、二人も抱えて帰れるわけないでしょ。
 これはわたしは酔うわけにはいかない。

 と、どうしたことでしょう。
 いつの間にか酔いが回って、誰かにおんぶされてる。
 これは夢?
 ふわふわして気持ちが良い。

「こいつ、マジ寝ちゃったよ」
「林田くん、わたしも結構ヤバいんですけど」
「さすがに二人はやっぱり無理だわ。悪いけど、美咲ちゃんは歩いて。ほら、腕につかまっていいからさ」
「も~」

 鶴田さん、歩いてるんだ。
 あ~わたしも歩くよって言いたい。
 だけど、林田くんの背中って暖かいな。
 目が開かない。

「美咲ちゃん、大丈夫?」
「うん、だいぶん酔いが醒めてきた」
「悪いな」
「いいわよ。清美ちゃん、飲むのに慣れてないもんね」

 ごめんね~
 ああ、眠い。

「あ~やっと着いた。ほら、部屋の前までついて行くよ」
「ありがとう」

 ガチャッ

 鶴田さんが鍵開けてるのかな?
 もう起きなきゃ……

「ちゃんと鍵閉めろよ」
「うん。それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」

 あ~あ、鶴田さん帰っちゃった。
 あ、わたしの部屋の鍵出さなきゃ。

「うん……」
「清美、まだ寝てていいぞ」
「う……ん」

 ありがと。
 鍵、バッグの中だよ。
 ガチャガチャ

 うん?
 ふわっとしたものの上に降ろされた。
 今朝、布団片付けたよね?

 何とか目をこじ開けると、わたしの上に林田くんの顔があった。

「林田……くん?」

 あれっ? ここわたしの部屋じゃない。どこ?

「ここどこ?」
「俺の部屋」

 ふわっとしたように感じたものは布団だった。
 これって林田くんの?

「ごめん、わたし寝ちゃったね」
「いいよ。そのまま寝ても」
「ダメだよ。林田くんの布団でしょ。あなたが寝るとこ無くなっちゃう」
「俺は、どっかその辺の床で寝るから」

 いやいや、そういう問題だけじゃない。
 純平さん以外の男の人の部屋で寝るなんて無理。
 何だか心臓がドキドキしている。
 アルコールのせい?
 それとも……

「わたし、帰らなきゃ」
「いてくれ」
「えっ?」
「何もしないからさ」
「当たり前でしょ。ねえ、どうしちゃったの?」

 林田くんの様子がおかしい。
 さっきまであんなに陽気だった人が、また暗い顔をしていた。

「清美、俺さ、お前の事が好きなんだ」
「えっ?」

 嘘。
 林田くんの好きな人って、わたしの事?

「本社にいる時に、告白してれば良かった。そしたら、椎名さんと付き合って無かったかもしれないよな? 俺が彼氏だったかもしれないよな?」

 林田くんが彼氏?
 もしも純平さんより先に告白されていたら……

「お前、俺がいた頃は、いっつもめぐみの後ろに隠れてた。いつもどこか不安な感じでさ。そんなお前を見てたら放っておけないっつーか、いつの間にか好きになってたんだ」

 林田くん、わたしをそんな風に見てくれてたんだ。
 だから少しでもわたしを元気づけようと、明るく接してくれてたんだね。
 だけど……

「ごめん。その時はたぶん、断っていたと思う」
「えっ?」

 純平さんだってそう。
 初めは断った。
 わたしに人を好きになる資格は無いと思っていたから。
 誰かと付き合うなんて、そんな事許されないと思っていたから。
 
「俺の事、嫌いか?」
「ううん。好きよ。話しやすいし面白いし」
「でも、俺じゃダメなんだな?」
「ごめんなさい」

 林田くんがうなだれる。
 わたし、どうしたらいい?

 ガッチャ

 勢いよく扉が開いた。

「純平さん?」

 えっ!
 どうして?

「貴様、清美に何してる!」

 純平さんは、林田くんの胸倉をつかむとなぐりかかった。

「やめて!」

 止めなきゃ。

「純平さん止めて! 林田くん、何もしてないよ。わたしを介抱してくれてただけだよ」
「介抱?」
「酔って歩けなくなったから、ここまで運んでくれたの」
「そんで、お持ち帰りされたってわけか?」
「ひどい。林田くん、そんな人じゃないよ」

 あっ
 林田くんの口が切れてる。

「貴様」
「止めて!」

 林田くんの頭に抱きついた。
 止めて。
 暴力は止めて。
 高校時代の事を思い出す。
 殴られた時の事を。

「止めて。殴らないで。お願い止めて」

 涙で前が見えなかった。
 あの時、こうして守ってくれる人がいたら、わたしは死のうとしなかったのかもしれない。
 誰か、助けてくれる人がいたなら。

「清美……」

 ぎゅっと林田くんを抱きしめる。
 ごめんね。
 わたしのせいだね。
 ごめんね。

「清美、もう殴らないから、そいつから離れろ」

 ゆっくりと林田くんから離れる。
 彼は、まっすぐとわたしの目を見たまま動かない。
 わたしも彼から目を離す事が出来なかった。

「行くぞ」

 純平さんに手を引かれ、自分の部屋に戻った。

「血、付いちゃったな」
「えっ?」

 見ると、胸の辺りに血が付いていた。
 林田くんの血だ。

「ごめん。布団に寝てるお前を見たらカッとなってしまった」
「わたしこそごめんなさい。飲み過ぎないようにしなきゃって思っていたのに」
「何であいつと飲みに行ったりしたんだ」
「何でって、林田くんと鶴田さんが誕生会を開いてくれたからよ」
「もし俺が来なかったら、お前どうなってたと思う?」
「どうって」
「あいつに抱かれてたかもしれないんだぞ」
「林田くん、そんな人じゃない。それに、何もしないって言ってたもん」
「バカ、それを信じるのか?」
「信じるわ」
「……甘いよ、お前」
「……」

 純平さんはそのまま黙ってしまった。
 林田くん、そんな人じゃないよ。
 絶対だよ。

「帰るよ」
「えっ?」
「あーあ、お前をびっくりさせようと車飛ばして来たのにさ。とんだ場面を見せられるとはな」
「とんだ場面って何よ。別にやましい事は何もしてないわ」
「歩けなかったって事は、店からここまでおんぶされてきたんだろ? それにさっきあいつの頭を包み込んでいただろ」
「それがダメだっていうの?」
「ああ。お前にその気が無くても、男は勘違いするんだよ。好きになられたらどうするんだよ」

 好きに……

「何黙ってる?」
「純平さん、もう帰って」
「えっ?」
「ごめんなさい。帰って」

 本当はこのままここにいて欲しいに決まってる。
 仕事が終わって疲れているはずなのにここまで来てくれたんだもん。
 嬉しいに決まってる。
 あなたに抱きしめてもらいたいよ。
 キスしてもらいたいよ。

 だけど、わたしの口から出た言葉は、彼を拒絶するものだった。

「わかった。それじゃ、次は福岡に戻ってからな」
「……」
「あっ、そうだ忘れるところだった。はい、これ」

 彼から細長い箱を受け取る。
 その指には、こないだ買ってくれたペアリングが光っていた。

「じゃっ」

 扉が閉まる。
 彼の足音が遠ざかった。

 わたしもはめてるよ。
 もらったリング、はめてるよ。

 その場にしゃがみ込み、溢れる涙をこらえ切れなかった。