耳に届いた言葉の衝撃とショックで、手に持っていた奏先輩の参考書を床に落としてしまった。
音を立てて落ちてしまった参考書を拾うことも出来ず、驚きでこちらに視線を向ける2人から顔をそらすことさえできなかった。
涙が、一筋頬を流れた気がした。
「っ、あおちゃん…!」
焦りを含んだ声と、ガタンと机が揺れる音がした。
「あおちゃん、なんで…っ」
奏先輩が戸惑った表情で近付いてくる。初めてだった。大好きな奏先輩なのに、こんなにも来ないでほしいと願ったのは。
もう、終わりにすると言っていた。
終わりにすると。はっきりと。
「ご …ごめん、なさっ」
「あおちゃんっ!!」
背中越しに奏先輩の叫ぶ声が届いたけれど、走り出した足を止めることはできなかった。
ただ走った。
走って、早くあの場から逃げ出したかった。
突きつけられた現実から、逃げたかった。
「あおちゃんっ!待って…っ」
後ろから追いかけられているのは分かってた。奏先輩の焦りに満ちたその声が、ずっと背中に響いていたから。
3年生の人たちの視線も今は痛かった。やっと現実を見たのかと言われている気がして。お前は暇潰しの二番目なんだと突きつけられているようで。
奏先輩から逃げるように、そして突き刺さる視線を追い払うようにして必死に走った。
それでもやっぱり、限界は来る。男の人の足から逃げることは余程のことがない限り不可能だった。
「ーーー…っあおちゃん!」
掴まれた右腕を咄嗟に振り回した。
今だけは、放っておいてほしいのに。
「離して、くださいっ…!」
今は、笑って奏先輩と向かい合える気がしない。できない。
今向かい合うと、何を言ってしまうのか分からない自分が、怖かった。奏先輩を傷付けるようなことを言ってしまいそうで。
「あおちゃんっ!」
そんなことにも気付かない奏先輩が必死に私を引き止める。
私を引き止めて、何を言うというのだろう。
瑠衣先輩とは何もない、付き合ってないと言っていたあの言葉たちも嘘だった。そして、終わりにすると、言った。
これ以上なにを突きつけられなきゃいけないのだろう。
その途端、奏先輩から離れようともがく自分の肩に両手を置いて、奏先輩はグッと力を込めた。
体が揺れる。そして、強く抱き締められる。
「ーーー…お願いだから、待って」
耳元に届いた悲痛な声に私は涙が溢れたのを感じた。
動きを止めた代わりに止めどなく涙を流す自分に、この人は気づいているのだろうか。
きっともう、これが最後なんだ。
この人は今から、終わりにするんだ。
私との繋がりを、断ち切るんだ。
「……どうして、」
「…あおちゃん」
「どうして、嘘をついたんですか…っ?」
消えそうな声で問いかけた自分に、奏先輩は一瞬私を抱き締める手に力を込めた。
付き合ってないと。
心配することはなにもないんだと、言ったのに。
暫くの沈黙の後、聞こえてきたのはーーー
「……ごめん」
小さな謝罪だった。
それは、即ち、嘘をついたことを認めたということだ。
ほんとうに、私は何を期待していたのだろう。奏先輩の付き合ってないという言葉を信じて、いつの日か後輩としてじゃなく奏先輩の横に立てる日が来るんじゃないかと、勝手に自惚れてたんだ。なんて、馬鹿で、愚かなんだろう。
奏先輩の力が抜けたのを感じて、奏先輩の胸元を押して離れた。まだ近くにあるその体温が、ただ切なかった。
「……先輩」
顔を上げると、そこには悲しげで苦しそうな表情を浮かべた奏先輩がいる。
私もそんな顔をしているのだろうか。
「……もう、終わりです」
「あおちゃん、」
「終わりに、します」
それだけ言って、私は背中を向けてその場を去った。
追いかけられることも、
名前を呼ばれることも、
なにもなかった。
中学生になって初めての恋が終わりを告げたーーー。



