「ーーーそれが貴方の一番の恋だったのですか?」


過去の思想に耽っていた自分に静かに問いかけられる。

閉じた瞳をゆっくりと開いた。そこには穏やかに微笑む女性がいる。その笑みにつられるように自分も穏やかに笑った。

「はい、きっとこれから先、これほどに誰かを好きになることはないと思います」

それほどに、自分の想いに変化はなかった。

あの頃もーーー今も。

「別れてから誰かとお付き合いはしたの?」

「いいえ。そんな余裕もなかったので」

恋愛にうつつを抜かす余裕は無かった。目の前のことに必死で、少しでも前に進んで、たとえもうその目に移れなくても、会うことはなくても、ほんの少しでも、小さな一歩でも、ただ前に進んで彼の人の背中に近付けることができれば、それだけで良かった。

それがあの時背中を押してくれた、遠く離れた彼の人に対してできるたった一つだと思ったから。

「それは、まだその人が好きだからでしょう?」

「……そうですね」

穏やかに笑ったのは真実だった。もうあの時のような悲しみも涙も感じない。もう届かない、会うこともない。それでも自分はそれでいいと心から思える。

彼の人がどこかで笑ってくれているのなら、それ以外に望むものは何も無かった。

「未練とか諦めるとかそういうものは本当になくて、ただ倖せになってほしいと願っています」

「なら、貴方も倖せにならないといけませんね」

「え?」

弾かれるように顔を上げた。

穏やかに笑う女性のコーヒーの中でクルクルと回されるスプーンがカチャンと音を鳴らした。

「貴方がそう願うように、きっと貴方の好きな人も同じように願っているはずですよ」

「…っ」

「この空の下のどこかで、生きている限りずっと、願っていることでしょう」


ーーー倖せになれ


「はい」

あの別れの日、彼の人はそう言った。

自分を優しく抱き締めて、静かに告げてきた。

それが互いに何も告げることのできなかったあの歪な関係が行き着いた結末だった。倖せにするのは自分ではないけれど、それでも倖せになってほしい。それが彼の人のあの時の唯一の願いだったのならば、それは今でも変わらないのだろうか。

否、きっと、変わらないのだろう。

あの優しい慈愛に満ちたあの笑顔のまま、きっと倖せを祈ってくれている。

「でもね、知ってますか?」

問いかけられて首を傾げた。

「互いに倖せを祈る恋はそれだけでは終わらないんですよ」

「……どういうことですか?」

聞き返した自分に女性は一度コーヒーを啜り、ニコリと笑った。

「どんな経緯であれ、いつかまた繋がりができるということです」

目を見開いた。

つながり?




「ーーー貴方の恋物語は、きっとまだ終わってない」