教室を出る頃には既に掴んでいた手は離れていたけれど、なんだかいつまでも熱を持っている気がして、口を噤んでしまう。きっと今の私は、顔が赤い気がする。
「映画終わったら付き合ってくれたお礼にアイス奢るよ」
「そ、そんなっ」
「俺さ、こんな可愛い妹みたいな後輩できたの初めてなんだよ。なんか色々したくなっちゃう」
「そう、せんぱ…」
不意に、頭に手のひらの感触がやってくる。
見上げると奏先輩の中学生とは思えない男らしく大きな手のひらが優しく頭に乗っていた。
「妹みたいで可愛いよ、あおちゃんは」
「っ」
ああ、もう。そういうことをサラリと口にしてくる奏先輩に少し羨ましさすら浮かんでくる。
引き返せなくなる前に、どうにかして手を打たなければいけないのかもしれない。
「……さ、早く行こう。中学生の映画は19時までって決まってるからね」
どれだけ大人に見えようとも、異世界にいるような存在にすら見えるほどの人でも、やはり私と同じまだ子どもの中学生。ほんの数年前にはランドセルを背負っていたのだ。まだ親の保護下にある以上、決まりごとは多くある。
足早に歩き出した奏先輩に私は一つ息を吐くと、その背中を追いかけた。
まだ引き返せると、ただ信じてーーー。
電車に揺られショッピングモールについてもシネマまで距離があるため歩かなければいけない。上映開始にはまだ少しだけ時間があるからと通りかかる雑貨店や本屋に寄りながらゆっくりとシネマまで歩いた。
「奏先輩、これ可愛い!」
「へぇー、あおちゃんこういうのが好きなんだ」
ディズニーのぬいぐるみを持ってその可愛さに興奮する私の手元を奏先輩が覗き込む。
「私、ディズニー好きなんですよ」
「あおちゃんはディズニーってよりもミニオンとか、そういうのが好きそうなイメージあるよ」
「ミニオンも好きですけど、やっぱりディズニーかなー」
そんな会話を繰り返しながら、ぬいぐるみを元の場所に戻す。携帯で時計を確認した奏先輩がそろそろシネマに行こうかと微笑んだ。返事をしようと奏先輩に向き直ったその瞬間。
「ーーー…っ」
奏先輩の背中越しに見えた人物に息を呑んだ。
奏先輩も向こうも気付いていない。
気付いているのは、自分だけーーー。
「っ奏先輩、早く行きましょう!」
足早に歩き出した私に奏先輩は不思議そうに首を傾げたけれど、そんなことに気を向ける余裕はなかった。早くこの場から離れなければ。その思いしかなかったのに、それは無残にも打ち砕かれる。
「ーーー奏?」
まるでそれは絶望にも近かったかもしれない。
幸せだった時間が一気に現実に突き落とされたような気分にもなった。でもそれ以上に気になったのは、奏先輩の心の方だった。
「……瑠衣」
友だちと遊ぶと言っていた瑠衣先輩の横には、男の人がいた。
奏先輩を見上げる自分はどんな顔をしているのだろうか。心配している顔をしているのか、はたまた後ろめたさからの気まずい表情を浮かべているのか。分からないけれど、それでも奏先輩を見上げた。
奏先輩は横にいる制服を着た男の人の存在には気付いているはずなのに表情一つ崩さない。常に側にいる人の隣にいる存在に焦ることも戸惑うこともなく、ただ瑠衣先輩を真っ直ぐに見つめていた。その途端、そこにいつもの柔らかな笑みが浮かぶ。
「瑠衣はデートか?」
「あら?そちらもデート?しかも葵ちゃんとなんて、奏も隅に置けないよねー」
なんだろう、この感じ。



