「あのねぇ……。あなたの演奏って正確だし聞いてて心地いいの。あたしはあなたの演奏が大好きよ」

「…あ…ありがとうございます」

演奏後、講師に腕前を誉められ頬を赤らめる青年。

しかし、彼はその言葉に心の底から喜ぶことは出来なかった。

青年は幼い頃からピアニストになることが夢だったが、大学4年になっても何者にもなれておらず
幼少から周囲に語ってはきたものの、託された夢を自分のものにしていた節があった。

夭折した僕の実父はピアニスト兼ピアノ講師で、『親以上の才能がある』と信じて疑わなかった母は
献身的に僕に寄り添い支援してくれた。

もちろんその甲斐あってか幼少期から数々の国際ピアノコンクールで入賞をし続けてきたのだが
どれだけ血の滲むような努力を積んでも優勝経験だけは一度もなかった。

堅実な道を歩もうとするも、その保守的な考えが気に食わない母との確執を解消出来ないまま
学生生活は残り3か月を切っていた。

皮肉にもこの日は最後のレッスン日だった。

「でも何かが〝足りない″の。それは……、技術面の向上と比例するものでもなくて。きっと別次元にある問題なのよね」

今日まで音楽の指導を彼に仰いできたおかげで技術スキルは身についたものの、彼が事あるごとに口にする
『足りないもの』を見つけることは出来ないままだった。

「あの……最終日にこんな質問してごめんなさい、僕に足りないもの……って何でしょう?」

「え…」

「僕なりに考えてはきたつもりなんですけど…、何にも分からなくて」

「そ、そんな…!別に悩ませるつもりなんかなかったんだけど…」

自分が放った野暮な質問のせいでかえって先生が返答に困ってしまう。

気まずい空気に抗おうとすればするほど、言葉が続かなくなるこの悪循環。

何とかして言葉を絞り出そうと、適当な言葉を発音したその時だった。

「あ」「あの……優一くん、私のバーで働いてみない?」

「え?」

「私の経営するバーでピアノリサイタルを定期的にするのはどう?一人で悶々と考えるよりかは答えは見つかりやすいはずよ」

先生は、突然自分が経営する店で演奏してみないかと持ち掛けてきたのだ。