終業のメロディーがフロアーに流れ始めると、
悪あがきをするように、キーボードを打ち付けていた手をしぶしぶ止めて、少し離れた所にあるデスクに視線を移した。

そこには、3つ先輩の 高梨 秋紀(たかなし あきのり)が、今席を立って帰ろうとしていた。

机の上は既にキチンと整理されていて、ほぼ何も置かれていないという状態は、彼の丁寧な仕事ぶりを表しているようだった。

「お先に、失礼します。」
耳心地の良い声で同僚に挨拶をしながら、なめからに机の間を通り抜けて、出入口のドアの向こうに消えていく彼に「お疲れ様でした。」と小さくつぶやいた。

また今日も見送るだけになっちゃった。
私 松宮 あかり(まつみや あかり)は、高梨さんに2年間、片思いをしている。

初めはただ、背が高くて、スタイルも良くて、艶のある黒髪がきちんとセットされていて、形の良い眉毛、奥二重のキリッとした目元、鼻筋が綺麗で、形の良い唇、とにかくこんなかっこいい人がこの世に居るのか!っていう衝撃で見ていたのだけど、見つめているうちに、仕事の仕方、電話での対応、さり気ない気配り、知れば知るほど好きになって行って、気づいたら2年がたっていた。

目立たない私は、彼に存在すら認識されていなかもしれない。
仕事で関わる事もほぼないし、話した事もそんなにない。
だからせめて、一緒に職場を出て行けたらと、頑張ってみたものの、仕事がやり切れなくてタイムアウト。

野望はついえてしまった。

「高梨のやつ、また定時上がりか。よくやるよ」

近くの机に座っていた同僚が、缶コーヒーを飲みながら、呆れたように高梨さんの机を見た。

「ほんと、仕事やれてるのかな?量が少ないんじゃないのか?」

「俺たち残業して頑張ってるのにさぁ。」

これみよがしに言っている訳では無いけれど、誰かに同意して欲しいような口ぶりで、呟いている。

私は大嫌いな虫でも見るように、同僚を見ると、さっとパソコンの液晶に視線を戻した。

何も分かってない人に、高橋さんの凄さなんて一生分かるわけない。
残業する人が凄いわけじゃないし、会社に取って有益な人じゃない。
与えられた仕事を、就業時間内に全て終わらせ、定時に帰る人が、会社にとって有益な人だ。

私より何倍も仕事量があるはずなのに、ほぼ毎日定時で帰っていく凄さが、ダラダラ残業していくおバカさんな同僚に分かるわけない。

悔しくて、目の前が滲みそうになるのを我慢する。
1分でも1秒でも早く、残りの仕事を終わらせるようにキーボードを叩く指に意識を集中させた。