幸い病態は年を経るとともに安定に近づいてきているのが分かる。昔は一年のうち春と秋の二度入院することも珍しくなかったし、無断で外泊して帰ってこなかったり、祖母や入院患者の金品を盗んだり、消費者金融から借金をしたり、幻聴の命じるがまま行動していた。責任を一手に引き受け母の尻拭いをしてきた祖母の労苦は計り知れないものがある。
 今も決して幻聴がなくなったというわけではないが、近年の医学の進歩による薬の改良や病気に対する諸知識の蓄積により大分抑えられるようになってきた。変わって目立ってきたのは普段の生活行動における奇異性である。はた目にはしつけの悪い子供としか見えないときがある。祖母に曰く「幼稚園児よりも悪い」と。場合に則した適切な判断、行動がとれない。人の言うことが聞けず単純な過ちを繰り返す、自分の思い通りにならなければ気が済まない、正直注意する気も失せてくる。病気だと割り切らなければ全く理解不能な面がある。これまではあまり露見されなかった側面である。ともするとただのわがまま、怠惰、根性なしに捉えられるので病気とは離れた母個人の性格的問題と思われがちだが判断を見誤ると適切な対応をし損ない病態を悪化させることに繋がりかねない。病気の発展段階、性質は違えどれっきとしたその病症なのだという認識が不可欠になる。
 ただ母の言動を観察してきて見えてくるのは母のもつ本来の性格、性格の大根(おおね)というものが病気の根本にあるのではないかということだ。つまり自分の性格の癖を把握しそこを直すことが最終的には病気の根治になるということに母自身が気づけるかどうか。ここにすべての解決はあると私は見ている。
 「病は気から」。精神病であればなおさらその格言が真実味を帯びて強く感じられるが、とくに私がそれを強調するのは信仰する宗教の影響が大きいのであろう、それについては後に触れることにしよう。そして、この性格がどこに由来するのか、なぜ発生したのかについて考察していくにつれて我々家族の姿が浮き彫りにされていくのである。母の病気を語る上において家族関係のことに触れないわけにはいかない。無論実母である祖母が与える影響は母の性格にとって本質的なものであろうが、個別特殊の家底状況が母に与える影響がまたいかに大きいかは、読者もおいおい分かってくるだろう。