また、山折先生に照らし合わせれば、親による子のしつけという本意において祖母自身が主導的な役割を果たす必要があると考えられる。単なる謝罪の対象ではなく、立会人にもなってもらい母が誓ったことを念押ししてもらうつもりでいたのだ。
 ところが祖母も反省の姿勢を見せたことによりこの意義は薄れてしまった。親としての絶対的立場から母に厳しく叱ってもらいたいと思っていた私にとって当てが外れた格好だ。祖母の行為により、二人の関係は対等になってしまった。母の考えには(ここで素直な反省の弁を述べさえすれば済むであろう)という形式主義しかなかったに違いない。それではこの懺悔に何の意味があろう。改めて祖母による念押しがあって初めて、しつけの意義を持ちうるというに・・・。祖母の行動に当初は満足を覚えていた私であったが、上のように考察してみると、いかに浅薄であったかが分かる。
 さらに決まりの悪いことに祖母の宣誓の終了後、間が空いてしまった。一連の流れから察するに、私も最後に一言二言宣誓するか、場をまとめる必要があった。だが、予想外の展開に戸惑った私には言うべき言葉が見つからなかった。
 二十秒ほど経った後、祖母が沈黙を破った。
 「これからも、こういう喧嘩を繰り返しながら過ごしていくんだろうけど、頑張ろうね。」
 その言葉は真実を表していた。私は深く肯くしかなかった。
 以上のようなおよそ母親らしくない子供じみた非常識的、矛盾的言動の原因として考えられるのは、統合失調症という精神疾患であると診断されている。幸い母の病気は軽度のほうで自殺願望などの重い症状はないが、軽いうつに襲われたり、幻聴がすることがあるという。発病してから丸20年が過ぎた。現在に至るまで入退院を繰り返し、祖母が体力的にまだ余裕があった頃は口論から取っ組み合いに発展するほど派手にやっていたものだが、現在は症状が比較的落ち着いており、ときどき体調不良を訴えることはあるが、入院には至らずに過ごしている。だが先のようにしばしば我々の手を煩わせてくれるのだ。しかも起こす事件はいつも同じことの焼き増し。それに気付きつつ膝詰め談判するも決定的な解決策を見出せない祖母と私。母の不行跡が目に余るようになると祖母の怒りが噴出し家族会議で一通り気炎を吐いたのちしだいに終息する。このパターンを繰り返している。