そんな時は祖母の強い信念の通った恫喝と非のうちどころのない反駁に助けられるのだ。しかし、母の詭弁家ぶりは馬鹿にできないもので、個々の理論は正しいように見えるのだが、合成の誤謬と形容すればよいのであろうか全体的に見ると論理の飛躍が入っていたりして方向性が間違っているということがたまにある。そういう場合はその場ですぐに論駁することが難しく(母を説得できるだけの論理力が悲しい哉持ち合わせていない)、祖母と顔を合わせて狐につままれたような気分になるのだ。
まあとにかく今回は実験の意味合いもあったしこれで良しとしておこうと納得する間もなく次に祖母が口を開いたのには少々驚いた。
「おばあちゃんも、お母さんと仲良くするようにします。・・・。」
母の謝罪がなされれば十分だと考えていた私は予想外の展開に少し戸惑いながらも満足していた。今にして思えば、ご先祖様を篤く敬う祖母のことだから仏前に坐し最も神妙の面持ちでいたのは彼女だったのだ。無論、祖母にも反省点がないわけではない。すぐ声を荒げる癖や母に対して攻撃的な口調になりやすいのは控えてもらいたいと思うときがある。しかし祖母はこれまでまさに身を粉にして我々を守り続けてきたし(家計を一手に預かり我々に何不自由のない生活を与えてくれた)、その性格も昔に比べたら短気が改善されて我慢強くなってきたと思う。その祖母にさらなる改善を促し性格の癖を直して欲しいというのは筋違いのように思われる。年齢的に脳の可塑性が衰え(?)思考の固定化が顕著である年長者にはむしろ現状のままで生きていてもらうことが重要であって、人間としてのふるまいや人生について若輩者が真摯に教わることこそが肝心なのである。そもそも私のような青年にとっても自分の性格を変えるということは非常の困難を要するのは読者にも自明のことであろう。
私が心を打たれたのは、ご先祖様を前にして反省の弁が自然と口をついて出てきたであろう祖母の謙虚な態度にである。私がこの懺悔のねらいとしたのは、一度ご先祖様の前で誓いを立てたからにはそれを軽々に破ることは許されない、もし破ったらご先祖様を粗末に扱ったことと同等になるのだぞという母に対する逃げ場のない威嚇であり、懲りずに幾度となく同じ過ちを繰り返してきた母に普段の説教とは異質のメッセージを発し違った角度から反省を促すことであった。
まあとにかく今回は実験の意味合いもあったしこれで良しとしておこうと納得する間もなく次に祖母が口を開いたのには少々驚いた。
「おばあちゃんも、お母さんと仲良くするようにします。・・・。」
母の謝罪がなされれば十分だと考えていた私は予想外の展開に少し戸惑いながらも満足していた。今にして思えば、ご先祖様を篤く敬う祖母のことだから仏前に坐し最も神妙の面持ちでいたのは彼女だったのだ。無論、祖母にも反省点がないわけではない。すぐ声を荒げる癖や母に対して攻撃的な口調になりやすいのは控えてもらいたいと思うときがある。しかし祖母はこれまでまさに身を粉にして我々を守り続けてきたし(家計を一手に預かり我々に何不自由のない生活を与えてくれた)、その性格も昔に比べたら短気が改善されて我慢強くなってきたと思う。その祖母にさらなる改善を促し性格の癖を直して欲しいというのは筋違いのように思われる。年齢的に脳の可塑性が衰え(?)思考の固定化が顕著である年長者にはむしろ現状のままで生きていてもらうことが重要であって、人間としてのふるまいや人生について若輩者が真摯に教わることこそが肝心なのである。そもそも私のような青年にとっても自分の性格を変えるということは非常の困難を要するのは読者にも自明のことであろう。
私が心を打たれたのは、ご先祖様を前にして反省の弁が自然と口をついて出てきたであろう祖母の謙虚な態度にである。私がこの懺悔のねらいとしたのは、一度ご先祖様の前で誓いを立てたからにはそれを軽々に破ることは許されない、もし破ったらご先祖様を粗末に扱ったことと同等になるのだぞという母に対する逃げ場のない威嚇であり、懲りずに幾度となく同じ過ちを繰り返してきた母に普段の説教とは異質のメッセージを発し違った角度から反省を促すことであった。
