だが母のようなコメントは大変珍妙で耳目を集めるものであったろうことは容易に想像できる。 児童だけでなく先生方も面白く受け取ったに違いない。彼らが斜陽館の絵を気に入って選定したという校長先生のご説明はあるいはカムフラージュか。メッセージの内容に何も触れていないのは、母の誤りを指摘するのではなく、ありのまま受け入れてその素直な感謝の心を皆に感じてもらおうという御配慮かもしれない。ありがたいことである。
 とまれ、この仮定(むしろ事実)は面白いと悟った私は横にいた祖母に以上の見解を披瀝し始めた。聞いている祖母の頬が徐々に弛んでくるのが分かる。
 「つまり、イモを人格化して・・・」笑いをこらえながら結論に入ったその時、
 「ぶっ。」突然祖母が大きく吹き出した。それにつられた母と私とを含めて三人は一斉に腹を抱えて笑い転げた。笑いながら祖母が、
 「イモに何年生かって聞いでら・・・」
と付け加えるものだから笑い声は一層高くなりしばらく続いた。
 家族三人で腹がよじれるほど笑い合う瞬間など滅多にあるものではない。母の心中にはおそらく納得がいかないものもあったろうが、共に笑い合える喜びは家族生活の醍醐味であり幸福そのものである。祖母と母と私。三人一緒ではじめて一家族となり得ることを改めて認識させられる。それは世帯構成上の意味においてのみではない。精神的連帯の意味においてでもある。二人きりで暮らしてみればそれが著明に分かる。
 祖母が狂った母によって腰を痛めつけられるという事件から間もなく、仙台で大学生活を送っていた私は夏休みに帰郷し、母の処遇について話し合われることになった。
 その場において祖母が私に期待していたのは、母に対する鉄拳制裁であった。「目には目を。歯には歯を。」という訴えは、被害を受けた者にしかもつことのできない切実さがある。しかし私は結局祖母の期待に応えることができなかった。
 祖母から電話で聞いた時と違って、母の様子は思いの外平静であった。いくら母に祖母の怒りを伝えこれから執行される刑罰の正当性を主張しても、相手は観念したかのように全く動じない。相手に反省の色が見られないようならこちらもある意味殴り甲斐があろうが、残念ながら私には刑務官のごとき権力も威厳もないから粛々と厳正に執行する度胸がなかった。