今回は偶々見せぬまま郵送したのであったが、それが奏功したのか、我々の眼前に一つの謎(?)を提示する結果になろうとは・・・。百聞は一見に如かず。まずは例のメッセージをご覧に入れよう。

松茂美人様
美人君、ピカイモ・・・
何年生かな。

 私が何を言わんとするか、今後の展開が皆様には想像できたであろう。上のメッセージを目にした時、私は以前に母とこの葉書を書く前に交わしたやりとりを思い出した。
 「このイモ作った子、松茂よしと、よしひと君って言うんだべが。」
 「松茂美人っていうイモの名前だと思うよ。松茂で採れた美味しい薩摩芋だはんでそう付けたんでねべが。」つがるおとめ、あきたこまち等産地名に女性の美称をつけて商品名にする試みは全国で行われている。
 「でも美人(よしひと)君とか美人(よしと)君って人の名前もあるよね。」母は食い下がる。
 「確かにあるけど・・・。もしかしたら『ピカイモ』がイモの名前なのかなあ。」
果たして『ピカイモ』がイモの名前なのか、『松茂美人』がそうなのか。前者は児童たちの親しみを込めた呼び名であり、あくまで後者が正式名称ではないのか。確たる証拠を示せないまま会話は途中で終わってしまった。
 今家族三人は、団らん用の丸テーブルを囲みながら一枚の紙切れを覗き込んでいる。『松茂美人』が人間なのかイモなのかという判断は祖母にも簡単にはつけ難いようである。
 イモだと仮定して葉書を受け取った児童側の反応を推察してみよう。この葉書が如何にユーモラスで彼らの想像をかき立てるものか、そして彼らが掲載を強く望んだ本当の理由が見えてくると思う。
 遠方に住む五十代の得体の知れないおばさんが全くの勘違いをしてイモの名称を人物の名前と思い込んでいる滑稽さに笑い出す子、擬人化されたイモに宛てたメルヒェンチックな文章に心躍らせる子、はたまた自分たちが丹精して育てたイモに対する最大限の賛辞、即ちあえてイモを自分たちと同様に学童の一人として認識し待遇したことに感激する子(これは少々うがった見方か。)などなど。
 このように様々の印象を彼らに与えたに違いない。無論自分たちの生産物の一消費者からのお礼に対する純粋な喜びや愉悦に加えてである。彼らの元へ送られた礼状は決して少ないものではなかったろう。