そういう話を身近に見聞きしている祖母だからこそ、神経質にならざるを得ないところもあろう、いや神経質というのは私の想像力の欠如が言わしめる単語か。高齢者の立場になって共感し思いを巡らせることができれば祖母の心配が決してオーバーではないことに気付くはずだ。それに、郵便配達人や宅配人等にとっても玄関前がきちんと雪掻きされていれば気持ち良く仕事してもらえるだろう。実際、隣近所が丁寧に雪掻きされている状態を見れば、私だって胸のすく思いがするではないか。
雪掻きを面倒くさがり、なるだけ少ない回数で、なるだけ少ない労力でなどと楽をしようとすると自己中心的になってしまうのだ。一日に何度も外に出て雪を掻く「無駄な」労力をできるだけ避け「必要最小限」の働きをすれば良いなどと考えていた私のいかに浅はかだったことか。玄関前を午後に掃除する者などいない。最低限のマナーが欠けていたのだ。ただ漫然と掃除をするのではなく、人に対する配慮が必要なのだと改めて祖母に思い知らされたのであった。ただ雪掻きをすればいいというものではない。何のためにするのか、いつどのようにすべきなのかについて今一度再考を迫られたような気がした。
雪掻きの目的について今一つ挙げるならば、緊急時に対する備えというのもある。これは祖母に強い意識をもたらすようだ。祖母は常に部屋をきちんと片付けておけと注意する。自分の部屋なんだから勝手にさせてくれと私なぞは反発するのだが、祖母の主張は一貫している。
「何か起こったときにすぐ逃げ出せるように。」
そう言われると納得せざるを得ないのだが、私にはあるこだわりがある。それは自分が学者にあくがれを抱いており、そのような生活を夢見ていることに関係する。学者の研究室というと、無造作に書物やら雑誌やら書類やらが置かれていて机の上にうずたかく積み上げられている光景が目に浮かぶと思う。フォード、GM、デュポン社などの大企業を時系列に分析した結果、職能別組織から事業部制組織へ企業形態が経営戦略によって変遷を遂げることを、”Structure does follow strategy.”「組織は戦略に従う。」と論じ経営学の基礎を確立した大家で昨今亡くなられたアルフレッド・チャンドラー博士の研究室の写真を見せられた時も、
雪掻きを面倒くさがり、なるだけ少ない回数で、なるだけ少ない労力でなどと楽をしようとすると自己中心的になってしまうのだ。一日に何度も外に出て雪を掻く「無駄な」労力をできるだけ避け「必要最小限」の働きをすれば良いなどと考えていた私のいかに浅はかだったことか。玄関前を午後に掃除する者などいない。最低限のマナーが欠けていたのだ。ただ漫然と掃除をするのではなく、人に対する配慮が必要なのだと改めて祖母に思い知らされたのであった。ただ雪掻きをすればいいというものではない。何のためにするのか、いつどのようにすべきなのかについて今一度再考を迫られたような気がした。
雪掻きの目的について今一つ挙げるならば、緊急時に対する備えというのもある。これは祖母に強い意識をもたらすようだ。祖母は常に部屋をきちんと片付けておけと注意する。自分の部屋なんだから勝手にさせてくれと私なぞは反発するのだが、祖母の主張は一貫している。
「何か起こったときにすぐ逃げ出せるように。」
そう言われると納得せざるを得ないのだが、私にはあるこだわりがある。それは自分が学者にあくがれを抱いており、そのような生活を夢見ていることに関係する。学者の研究室というと、無造作に書物やら雑誌やら書類やらが置かれていて机の上にうずたかく積み上げられている光景が目に浮かぶと思う。フォード、GM、デュポン社などの大企業を時系列に分析した結果、職能別組織から事業部制組織へ企業形態が経営戦略によって変遷を遂げることを、”Structure does follow strategy.”「組織は戦略に従う。」と論じ経営学の基礎を確立した大家で昨今亡くなられたアルフレッド・チャンドラー博士の研究室の写真を見せられた時も、
