過去に正気を失った母に振るわれた暴力のせいで彼女は腰を悪くしてしまっていた。現在は随分回復したが、以前はひどかった。いろいろ治療法を試してもなかなか改善されず、痛みで夜も眠れないほど苦しんだ。今でも負担を掛けすぎると必ず痛み出すのである。つい頑張りすぎてしまう祖母だから仕方ないと思う半面、不安にもなる。それを振り払う祖母の言葉。
「雪掻ぐのはいいけど、穴さ落ぢで腰打づんだはんでまいねっきゃの。」
言いながら笑い始める祖母。つられて私も笑い出す。側にいた母も大きな声で笑っている。大団円とはまさにこのことか。二日前の家庭崩壊危機は祖母の一時の乱心だったのかと思わせるほど全く平和な家族生活が復活した。これが家族で暮らすということか。社会には自律的秩序があると評論家の西部邁氏が論じていたが、家庭という社会にもそれが存在するのだろう。何ともしめし合わせたかのような幕切れだと、後になって不思議に思ったりもするのである。
この事件に一番懲りた祖母がその後、駐車場の雪片付けに今まで以上に神経質になり、その範囲と頻度が増し私の時間がさらに雪掻きに消費されていったのは言うまでもない。
それはともかくとして、今回の事件で私が気付かされたことがある。
話は戻るが、玄関前の雪掻きによって祖母が示さんとしたのは、真の「思いやり」ないし「礼儀」であると私は思う。来客というのはいつ何時あるか分からない。だからいつ来てもそそうのないように準備しておくというのが本来のもてなしの心なのだろう。もし午前中に来客があった場合、玄関前のステップを雪を踏み固めながら「やぶをこいで」一歩ずつ上がらなければならないことになる。たかだか2段しかないのだからそう苦労はあるまいなどと考える私には高齢者に対する配慮も欠けている。祖母のお客さんはどうしても年輩の方が多くなる。足腰が弱い人も当然いる。そのような方々にとって雪のかぶった階段というのは危険なものであろう。万一転倒など起きようものなら大変である。怪我なぞさせたらただではすまされない。また青森のような北国において高齢者の寝たきりは転倒に起因するものが多い。寝たきりは認知症などに繋がる。だから高齢者の転倒には特に気を配らねばならない。
「雪掻ぐのはいいけど、穴さ落ぢで腰打づんだはんでまいねっきゃの。」
言いながら笑い始める祖母。つられて私も笑い出す。側にいた母も大きな声で笑っている。大団円とはまさにこのことか。二日前の家庭崩壊危機は祖母の一時の乱心だったのかと思わせるほど全く平和な家族生活が復活した。これが家族で暮らすということか。社会には自律的秩序があると評論家の西部邁氏が論じていたが、家庭という社会にもそれが存在するのだろう。何ともしめし合わせたかのような幕切れだと、後になって不思議に思ったりもするのである。
この事件に一番懲りた祖母がその後、駐車場の雪片付けに今まで以上に神経質になり、その範囲と頻度が増し私の時間がさらに雪掻きに消費されていったのは言うまでもない。
それはともかくとして、今回の事件で私が気付かされたことがある。
話は戻るが、玄関前の雪掻きによって祖母が示さんとしたのは、真の「思いやり」ないし「礼儀」であると私は思う。来客というのはいつ何時あるか分からない。だからいつ来てもそそうのないように準備しておくというのが本来のもてなしの心なのだろう。もし午前中に来客があった場合、玄関前のステップを雪を踏み固めながら「やぶをこいで」一歩ずつ上がらなければならないことになる。たかだか2段しかないのだからそう苦労はあるまいなどと考える私には高齢者に対する配慮も欠けている。祖母のお客さんはどうしても年輩の方が多くなる。足腰が弱い人も当然いる。そのような方々にとって雪のかぶった階段というのは危険なものであろう。万一転倒など起きようものなら大変である。怪我なぞさせたらただではすまされない。また青森のような北国において高齢者の寝たきりは転倒に起因するものが多い。寝たきりは認知症などに繋がる。だから高齢者の転倒には特に気を配らねばならない。
