閑話休題。恐れ多くも祖母に啖呵を切った私は余勢を駆って食卓用の椅子から立ち上がった。アイロン台用の軽くて華奢な椅子はその拍子に転倒した。その様子にこれまで傍観していた母も驚いたらしい。
「わいーは。どうしたんだしてー。」
それに答えることなく台所に立った私は急いでお椀に味噌汁を注いで茶碗にご飯を盛る。祖母は背後で非難を繰り返していたようだがそれを無視してブランチを食べ始めた。
「まずご飯食べねばの。」
と母が祖母をなだめる。私は無言でご飯をかきこんでいた。
漸く一息ついたときには、祖母の怒りは頂点に達していた。
「こんなうるせぇババと一緒に暮らすのはあんた方迷惑なんだべ。言う方の気持ち考えだこどがあるがして。あんだだぢ二人でやればいいっきゃ。」
言う方の気持ちか・・・。あまり考えたことがなかったな。祖母が同じ注意を飽きずに繰り返すのは私には理解しがたいことで、言っても分からない母にはこれ以上注意するこちらが馬鹿馬鹿しいからある程度母の自由にさせるしかないと私は学習したのであった。祖母の注意は母にとっても耳タコだから、真面目に聴く気なぞさらさらないのだし、祖母自身だってそれは重々承知している。それでも言わずにはいられない気持ちは理解できないわけではない。それは、常に母の後始末をつけてきた祖母が、最後に責任を取らなければならないのは自分しかいないのだという、決然たる覚悟を持ち、大きな危機感そして言い知れぬ不安にさいなまれているからに他ならない。
「言われるほうも嫌だろうが、言うほうだって嫌だ。」という言葉に秘められた祖母の真の思いを我々がくみとることは不可能に近いのかもしれない。相手のためなら嫌に思われることでもあえて行うという態度がどれだけ切実で、どれだけ愛情に満ちていることか。人生の大先達たる祖母の教えは口に苦いものも多いが世の中の道理そのものである。言われたことを素直に守れば必ず良い方に向かう。私自身嫌というほど認識させられてきた。
だが頑迷固陋の態度が常に活路を拓くとは限らない。柔軟な思考も必要だ。それを教えてくれているのが母の病気かとも思う。
祖母の本音に今度はこちら側がショックを受けたのは言うまでもない。間髪入れずに母が、
「そこまでは思ってないよ。おばあちゃん考えすぎだって。」
「わいーは。どうしたんだしてー。」
それに答えることなく台所に立った私は急いでお椀に味噌汁を注いで茶碗にご飯を盛る。祖母は背後で非難を繰り返していたようだがそれを無視してブランチを食べ始めた。
「まずご飯食べねばの。」
と母が祖母をなだめる。私は無言でご飯をかきこんでいた。
漸く一息ついたときには、祖母の怒りは頂点に達していた。
「こんなうるせぇババと一緒に暮らすのはあんた方迷惑なんだべ。言う方の気持ち考えだこどがあるがして。あんだだぢ二人でやればいいっきゃ。」
言う方の気持ちか・・・。あまり考えたことがなかったな。祖母が同じ注意を飽きずに繰り返すのは私には理解しがたいことで、言っても分からない母にはこれ以上注意するこちらが馬鹿馬鹿しいからある程度母の自由にさせるしかないと私は学習したのであった。祖母の注意は母にとっても耳タコだから、真面目に聴く気なぞさらさらないのだし、祖母自身だってそれは重々承知している。それでも言わずにはいられない気持ちは理解できないわけではない。それは、常に母の後始末をつけてきた祖母が、最後に責任を取らなければならないのは自分しかいないのだという、決然たる覚悟を持ち、大きな危機感そして言い知れぬ不安にさいなまれているからに他ならない。
「言われるほうも嫌だろうが、言うほうだって嫌だ。」という言葉に秘められた祖母の真の思いを我々がくみとることは不可能に近いのかもしれない。相手のためなら嫌に思われることでもあえて行うという態度がどれだけ切実で、どれだけ愛情に満ちていることか。人生の大先達たる祖母の教えは口に苦いものも多いが世の中の道理そのものである。言われたことを素直に守れば必ず良い方に向かう。私自身嫌というほど認識させられてきた。
だが頑迷固陋の態度が常に活路を拓くとは限らない。柔軟な思考も必要だ。それを教えてくれているのが母の病気かとも思う。
祖母の本音に今度はこちら側がショックを受けたのは言うまでもない。間髪入れずに母が、
「そこまでは思ってないよ。おばあちゃん考えすぎだって。」
