正直、いつも同じことで怒る祖母にうんざりしていたのだ。上のことも、おそらく何か言われるだろうと予期していた。そもそも昼過ぎまで寝ていること自体気まずいものだ。それが午前中の用事をすっぽかして惰眠を貪っていたのだからなおさらだ。下に降りてきた時、祖母と顔を合わせるのが怖かった。挨拶なぞ交わそうものなら「おはようでねっきゃ。」、「あんだ何時まで寝でるんだ。」などの非難ないし皮肉がすぐに返ってくるのが目に見えている。かと言って無視するなぞそれこそもっての外で、善後策としては反省の念をこめつつ若干深めに会釈をする(明らかに祖母に対して行うと何かと逆襲を食らいかねないので祖母のいる方角と自分の目的地との中間位置辺りに向かって行うのがミソ)のが私の学習成果である。
 もっとも正直に寝坊したことを詫びるという方法が最善策であるのは論をまたない。礼儀を重んじる祖母に対して素直な(母に至るとどうしても計算ずくでやっている感が否めないが)謝罪の気持ちを表現することは良い印象を与えうることもあり、案外その一言で機嫌が収まることも多い。だが多用がきかないのが難点だ。つまり、謝罪する本人が同じ過ちを繰り返す(もちろん母にも当てはまることである)ようであれば通用しなくなると、これも当然至極のことである。
 諦めの悪い私に弁解の余地を与えてもらえるなら、前夜にスケジュールを確認しなかったことが失敗に繋がったのだと言いたい。寝る前に祖母に明日市場に行くのか否かを確認しておけば、このような失態にはならなかっただろうと思うのである。なぜなら土曜日市場に行くと言っても必ずしも毎週というわけでもなかったのである。前夜就寝前に祖母は別段明日の予定を話すこともなかったし、私自身確認することを忘れてしまった。祖母はあらかじめ行くつもりでいたから改めて伝えなかったのであろう、しかしその無言のメッセージを私が誤解してしまった。人(脳)は物事を自分の都合のよいように解釈しがちであるが、いみじくも行かないと受け取ってしまったのである。
 はい、抗弁はここで終わり。意思の疎通は小問題としてもここでの主要な問題は、(市場に行かないなら寝ててもいいや)という私の怠惰にあることはここで一々断る必要はない。いたずらに紙面を埋めるためにこのようなごたくを並べるつもりかと勘ぐられても仕様がないのでこの辺に止めておく。