母ばかりが祖母の怒りを買うのではない。私自身も時々祖母の導火線に火をつけてしまうことがある。
 ある冬の昼過ぎだった。仕事が休みだったこともあって、遅くまで寝ていた私は空腹に目を覚まし階下へ降りていった。母に支度をしてもらいご飯にありつく寸前、背後より祖母の叱声が起こった。
 「今日午前中に市場さ買い物へ行ぐことは分がっちゅうんだべ。ならもっと早ぐ起ぎればいいっきゃ。」
 毎週土曜日の昼前には市内中心部にある魚市場で買い物をするのが我が家のスケジュールである。魚の好きな祖母は魚市場の馴染みの店で新鮮な魚介類を購入しなければ気が済まない人だ。実際、市場の魚介類はスーパーのそれとは比べ物にならないほど美味しい。ことにここ青森は豊かな海産物に恵まれており、紅鮭、鱈、カレイ、マグロ、ホッケ、タラコ、スズコ等新鮮で身振りの良い海の幸を存分に味わうことができる。
午前11時までに起きれば間に合うのだが、惰眠を貪ってしまったのがいけなかった。たとい一度目覚めたとしても、再び眠りについてしまうのが私の悪い癖だ。寒い冬の朝にはベッドの中はまさに天国と言える。そのまま昇天してしまいそうな心地良さに加え、幸せな夢の途中で目覚めるとその続き見たさに二度寝三度寝を繰り返したくなる体たらく。こういう調子だから勤務日は専ら母の起床の声に頼らざるを得ないのであった。夢の中を逍遙するのが好きな空想青年と言えば若干聞こえは良いかもしれぬが一々断る間もなくだれしも認めるただの怠け者である。ゆえに、祖母に反論する余地なぞ微塵もないのだがその時はタイミングが悪かった。空腹が最高潮に達しているときの私は身心共に大変不安定なのだ。
 「だったら起こしてくれればよかったじゃん。」
とつい不満を漏らしてしまった。後で怒るぐらいならその前に起こしてくれたほうが私としてはよっぽど有難いのだが、祖母の考えに妥協はない。
 「いつまでも人に起こされねば起きねえようなら、まいねっきゃ。」
とあきれ顔だ。人に頼らず自分で起床しろということだ。至極当然の話だ。
 「気持ち良く寝ている人は、起こしにくいものだよ。」
と母が続く。起こす側の気持ちを述べている。確かに寝ている人を起こすのは気の進むものではない。祖母が私に気を遣って、なるべく起こさないようにしようという気持ちも分かる。