二階の部屋で眠っていたはずの母が起きてきた。
 下のリビングで眠りについたばかりの私は物音に目を覚ます。だが知らぬふりを決め込んで目をつむっていた。明日の朝も仕事で早いのだ。
 が、
 ストーブのスイッチを入れた母を黙認するわけにはいかなかった。
(この原油高の時世に深夜からストーブ点けないでくれよ。)
 今冬の燃料費の値上げは半端ではない。価格が倍になったといつも以上に嘆く祖母がそれを如実に表している。その慨嘆を母だってしばしば聞かされているはずだ。だが、寒ければ深夜だろうと構わずストーブを点けるのがうちの母なのだ。それだけ我慢の足りない人間ということになろう。そういう性格は我が家内ではむろん自明である。私は先ほど電源をオフにした携帯のスイッチを再び入れ時刻を確かめる。午前1時半だ。
 「お母さん、もう起きたの。」
 「うん。(睡眠)薬飲んだんだけどね。お腹空いて、パン食べた。」
 「何時に飲んだの。」
 「(ゆうべの)七時。」
 「七時ぃ?そりゃ早すぎだわ。」
 深夜にも関わらず寝起きの私の声のトーンはいきおい上がっていた。いつもならコーヒーなりパンなり腹に収めた後はそそくさと二階へ上がる母だが、ストーブを点けそのまま横になったということはこのまま下で寝る魂胆らしい。(しかもストーブを点けたままで・・・)再び眠りにつくまで読書をして時間を過ごそうとしていた私にとってそれは困る。
 「お母さんストーブ消すからね。」
 「うん。」
 「もう一回寝ないと駄目だ。もう一度薬飲んでいいから。」
 「うん。」
 専用のコーヒーカップにコーヒーを注いで(寝る前にコーヒーを飲めば薬の効能が薄れるからと祖母が見れば怒号が飛んでいたところであろう)母は二階の自室へと上がっていった。
 首尾良く母を追い出した私は静かに電気を点け近くにある読み掛けの本を開き始めた。
 養老孟司著『唯脳論』だ。
 実はこの本、半年前に購入したのにまだ全体の3分の1しか読み終えていない。
  養老先生の御説は常識を覆すアイデアに溢れ目からウロコがしきりに落ちるのだが、その背後にある前提知識や理論が膨大かつ難解でついていけず理解するまで大変手間取る。
 理解といっても私の持てる限界合理性の範囲での話なので、「読書百遍意自ずから通ず」の精神でやるしかない。