ある朝、いつもと違う気配に目を覚ますと

布団の横で胸を押さえ呻いている母がいた。

もう少し大きければ、異常な事態だと近所に人を呼ぶなり

救急車を呼ぶなりしただろうが……………

3歳の俺は、強ばった母の顔が恐く泣くしか出来なかった。

あまりに長く泣く俺を、不審に思った大家さんが

合鍵を使って部屋に入ると

口から泡を吹いた母が、息絶えていたらしい。

それからのことは、よく覚えていない。

気がつくと葬儀も終わり、骨になった母親を抱きしめ

児童相談所の職員に手を引かれて

施設に連れて行かれた。

沢山の大人に、母親の最後について聞かれ

ままごとや砂遊びをさせられて………数週間が過ぎた。

後で分かった事だが

砂遊びやままごとは、心理学の一環で

目の前で母親を亡くした俺の心の中を探る

テストのようなものだったようだ。

母の面影が急に消え

知らない環境に、声すら出せなくなった俺は………

部屋の隅で、ただひたすらクマのぬいぐるみを握りしめていた。

食事さえ喉を通らず

職員泣かせの子供だったと思う。

別に、死んで母を追いかけようと思った訳ではないが………

担当職員に『このまま食べないと、お母さんのように死んでしまうよ。
お母さんは、彰人君に頑張って生きてて欲しいと思ってるから………
頑張って食べようね!』と言われ

このまま食べないと死んで、お母さんの所に行けるんだ!と思い

益々食べないと、頑なに拒んだ記憶がある。