𓐍
𓈒



「ほんっとかわいくねーなあ」




びくり、と肩がふるえて反応してしまう。


どうして、ひとの話し声ってこんなにもクリアに聞こえるのだろう。全然、ひとつも、聞きたいとは思っていないのに、勝手に耳に飛びこんでくる。



ああ、もう、シャットアウトできたらいいのに。


両手で今すぐにでも耳を塞いでしまいたい。その衝動を、シャーペンをぎゅうっと握ってこらえた。




「このクマ、めちゃくちゃ凶暴な顔してね?」

「や、そういうキャラだっつーの」


恭介(きょうすけ)、スタンプの趣味悪。つうか、マジでいちいちビビるんだよ。ライン開いたらこのイカついクマとめちゃくちゃ目合うし」

「俺それしかスタンプ持ってねーんだわ、悪いけど」




なんだ、スタンプの話だったのか。
勝手に盗み聞きしておいて、勝手にほっと胸を撫で下ろす。


無意識にぴたっと止まっていた手を動かした。シャーペンを走らせるのはアンケートの集計の紙の上。




森下(もりした)

『……、はい?』

『今日、このあとちょっと時間あるか。折り入って頼みたいことがあるんだが……』



ホームルームのあと、先生が “折り入って” なんてかしこまったことを言ってくるから、流れるように頷いてしまった。それに、ほんとうに困ったような顔をしていたから。




『よかった、助かるよ。森下はしっかりしてるからなあ、安心して任せられる』




へらりと相好を崩した先生がそのあと、ぽん、と寄越したのはあろうことかアンケート集計などという雑用中の雑用。


“しっかりしてるから” なんて、きっと口実だったんだ。誰にでもできる仕事で、たまたま目についてひまそうに見えたのが、私だったんだろう。


こんなことなら、ちゃんと断ればよかったな。




「ふー……」




深くため息をつく。

ついてないなあ、とこういうとき、思う。“運” とか “巡りあわせ” とか、そういった類のものを、いつもどこかで手放してきてしまっている。



タイミングも、要領も悪い。
器用に生きられない、いつもなにかで手がいっぱいいっぱい。


壁かけ時計をちらりと確認して。



「うわ」




どうしよう、早く終わらせないと。
こんなところでいつまでも、アンケートの集計なんて、している場合じゃなかった。



6時までには京香(きょうか)を迎えに行かなきゃだし、学童まではここからダッシュでも20分はかかる。6時半には奈央(なお)が帰ってくるはずだからそれまでに夕飯を作らなきゃ。

ああ、どうしよう、献立も考えていないし……そういえば、卵と牛乳が切れていたんだっけ、タイムセールを狙ってスーパに行かなくちゃ────。




「森下」