「へっ?」
「美沙はまあ……女だから100歩譲っていいとしてさ。それでもなんで先越されてるんだよって思うけど」
深見くんが後ろ首に手をやって、そっと口を開く。
「椋だけ、ずるいんだけど」
「な……にが?」
わけがわからない、と首を傾げれば「あー……」と呻いた深見くんは、ばつが悪そうに少し視線を逸らして。
「杏奈」
「……っ、え」
「って、呼んでもいい? てか、そう呼ばせて。これから」
それはまったく予想しなかったお願い。
呼び方なんて別になんでもいい、こだわりもない、と思うのに、深見くんの声で呼ばれた『杏奈』はやけに甘ったるく胸のなかに溶けていく。
その甘い感覚にぼうっとしてしまって、そのすぐあと、私の返事を待つ深見くんに気づいてハッとした。
「いい、よ。深見くんの好きに呼んでくれれば……」
「ん。じゃあ “杏奈” な」
う、わ。
早まったかもしれない。
呼び方なんて別になんでもいい……はずが、これから深見くんに呼ばれる度にこんな風に甘ったるく痺れてしまうようになるんだったら、それは、困る。
困るけど、今さら撤回もできないし。
頭のなかがてんやわんやの私をよそに、近衛くんがからかいモードの意地悪な笑みを浮かべて、深見くんの脇腹を鋭く小突いた。
「恭介。お前、今、やばいよ」
「うっせ。……自覚あるから」
深見くんもまた近衛くんを小突き返していて。
目の前で繰り広げられるやりとりに、まだ胸に残る甘い痺れを逃がしつつ、「やっぱり、仲良いんだな」と他人事のように思った。



