「……なぁ、橘」

「はい」


レースアップのショートブーツを履いた紬花が振り返ると、真っ直ぐな陽の視線とぶつかる。


「厳しい父親に禁止されていた”やりたい”ことは、全部やれたのか?」

「……その話、御子柴さんにしたことありましたっけ?」


訊ねられた内容に、紬花は目を丸くした。

父の話は、あゆみには話したことがあった。

以前、飲みに行こうと誘われた際、自分は実家住まいで厳しい父がいるので参加は難しいのだと。

しかし、陽から飲みに誘われたこともなく、仕事中やランチで一緒になった時のことを思い出しても親の話をした覚えはない。

それどころか『やりたいことを全部やれたかどうか』に繋がる話も、陽にした記憶がなかった。

酒は人生を狂わせかねない魔物だと豪語する紬花の父の言いつけもあり、今まで酒を飲んだことのない紬花。

故に、酒の席で話したけれど覚えていないというわけでもない。

不思議そうに見つめる紬花に、陽は一瞬だけ力ない笑みを浮かべて「どうだろうな」と答えた。


「ああ、そうだ。つまみは、チーズを使ったものを頼む」

「え、あ、はい」

「鍵はこれを使ってくれ」


そう言って、ポンと手渡したのはカードキー。

世話はいらないと拒んでいたが、ようやく許してもらえたのだと嬉しくなり、紬花は笑顔で頷き「いってきます」と玄関扉の向こうへ消える。

途端、静かになった家の中。


「……やっぱり、橘が”彼女”なんだろうな」


けれど、どうやら覚えているのは自分だけのようで、それを少し寂しく思いながら陽は自嘲し、リビングのソファーに腰を沈めた。