──……こいつはこいつで、辛い恋をしてたんだろう。

 野波センセーは清潔感もあって大人の余裕もあるし、柚葉に太刀打ち出来ないようなその辺のヤワなガキとは違う。

 大人の男にトラウマのあった柚葉にとっては、先生との出会いは本当の意味でトラウマを払拭出来た瞬間──理想の男に出会えた瞬間だったのかもしれない。

 好きになるのは自由。

 悔しいけど、自由だ。

 自由だけど──制御しなきゃいけない所で、こいつは必死で踏み留まっていたんだ。

 胸が焦れて、苦しくて──だけどどうにもならなくて、喉の奥がひりつくぐらいの痛みを抱えながら。


「───……」

 柚葉の熱を帯びた拳が、手のひらにじんじんと響く。

 こんな事でもなきゃ触れる事のない、柚葉の手。


 ──このまま。

 この拳を握り締めて──体を引き寄せて、腕の中に包み込む事が出来たら、どんなに楽か。

 こいつは、そんなこと考えた事もないんだろうな。


 ──俺の、気持ちなんて。




「……泣けば──」

 だから、俺は柚葉の手をそっとバッグの上に置いた。


「泣けば、楽になれるよ」

「…………、」


 ──俺が、そうだった。


「どうせ今まで誰にも話せずに、我慢してきたんだろ?」

「──……っ」


 小さい子をあやすみたいにバッグの上に置いた手をポンポンと叩くと、柚葉はまたも「うっ」と嗚咽を立てて涙をためて──。


「…っ、子供っ……扱い……禁止……」

「……またお得意の禁止令」

 俺がふっと笑うと、また悔しそうにして──。

「何よ、泣けばいいんでしょ……泣けば──」

 そう言って、反抗しながらも素直に応じる子供みたいに──。


 柚葉は、しばらく泣きじゃくった。