話はトントン拍子に進んでいった。

 式を挙げなくて良いと言う家に対して、挙げたほうがいいんじゃないかと言う彼の家に、
「ほんとに挙げなくていいんで…。」
と言って断った。

 彼の叔父に、
「ほんとにコイツでいいんですか?」
と聞かれ、
「はい、優しい人なんで…。」
と答えた。

 わたしは大人数が苦手だった。
 …が、彼の家は、親せき付き合いが濃く、わたしはそれが嫌だった。

 特に嫌だったのが、見知り合いといって、彼の親せき一同の中に連れて行かれて、そこで、1人立たされて挨拶させられたときには、死ぬ気で頑張った。


「雅君の妻になります、相沢愁です。よろしくお願いします。」

 恥ずかしさで、倒れそうになりながら、
なんとか言い切った。

 お義母さんに、
「何言われても気にせんでいいけんね。」
と言われたが、
(じゃあ、どうすれば気にせんでおれるんか教えてよ!)
と思っただけだった。

 それを彼に伝えてから、わたしは極力親せきづきあいから離れた。彼も、
「オレも親せきづきあいあんまり好きやないけ。」
と言って、離れた。

 彼は、全てにおいて、わたしを優先してくれた。
「仕事についていきたい!」と言えば、連れて行ってくれる。
「会社の飲み会は、嫌だ!」と言えば、断ってくれる。どうしても参加するときは、わたしを一緒に連れて行ってくれた。

 そして、わたしの20歳の誕生日に、わたしたちは、籍を入れた。

 相沢の籍を抜けることができて、わたしは嬉しかった。今日からは|高木《たかぎ
》愁!

しかし、病院に行くとしっくり来ない。
「高木さーん!」…と呼ばれるのに慣れるまで、結構時間がかかった。

 そうだ!あなたは、籍を動かすときは、誕生日はやめたほうがいいよ!20歳の誕生日に席を動かしたからか、 わたしに、成人式の通知が来なかった。

 成人式にはもともと行こう…とか、おもってなかったので、わたしの頭の中で
(あたしは、まだ大人になってないんだ!)
と、思うことにした。

 ずっと子供のまま生きれないのは、わかっていたはずなのに…。

 わたしと彼は、彼の実家に住んでいた。

 今思うと、ありえない話だが、お義母さんに、家事を全部任せて、わたしは部屋にこもりっきりだった。

 妊娠中は、精神科の薬は飲めない。お酒も、ちょっとでも口にすれば、バッシングがひどかったので、タバコだけで我慢した。

……ん?……と思った方、ごめんなさい。
3人とも、妊娠中は禁煙できませんでした。

 長女の時は、それに加えて、旦那さんの仕事にもついて回っていたので、トラックの衝撃に耐え、トイレに慌てて行ったときは、尻もちの衝撃に耐え、しかも、好きなものばかりを食べていたので、妊娠糖尿病にもなりかけ………。

 産まれてからもわたしを支え続けてくれている娘には、感謝しかありません。

 ただ、出産のときはたいへんでした。