翌日、薫が運動公園の駐車場にクルマを停めて荷物を出していると声をかけてくる者がいた。
「榊じゃないか!久しぶり」
K高OBの中里だった。彼とはジュニア時代から何度か対戦したことがある。薫はH高だったのでチームは違うが不思議とウマが合って、試合会場ではよく話をした。
「うん、ちょっと事情があってこっちに帰ってきたんだ・・・」
互いに近況を報告しあっているとエントリーを促すアナウンスがあったので、一緒に本部の受付に行くことにした。

エントリーを済ませドロー表を確認すると薫は第4シードをもらっていた。
「これくらいは今までの実績を考えれば当然だろう。第1シードでもいいくらいだと思うけどな」
同じくドロー表を見ながら中里が言う。
「いやいや3年以上ラケットを握りもしてなかったし、再開してからまだ5か月くらいだよ。買いかぶりすぎだって」
「ハイハイ、でも久しぶりにお前のテニスを見られるのは嬉しいよ」

薫はシードがついていて一回戦がなかったので、午前10時を回ったころ二回戦に入った。
(さすがに久しぶりの大会はちょっと緊張するな)
ウオームアップのサーブを打ちながら薫は少し硬くなっているのを感じていた。

ゲームが始まった。薫のサーブだ。
ファーストサーブが狙い通りワイドに入り、浅いリターンがコート中央に帰ってきたところをフォアの逆クロスでオープンコートに難なく決めた。そのあとは相手のリターンミス2本とセンターへのサービスエースで最初のゲームを取った。

初戦を薫は6-0で勝利した。(ローカルの草テニスは試合時間短縮のため1セットや8ゲーム先取で行われることが多い。)

薫は中高と県内では一度も負けたことがなかった。薫のテニスを一言で表すと“無駄がない”に尽きる。姿勢がよくて力みがないので一見軽く打っているようだが、必要十分な回転とスピードが与えられたボールは相手のバランスを崩す目的を持ってコート内に送られ、ほとんどの場合ラリーを支配しているのは薫だった。ただスタミナというか持久力にかけているのが難点で、インターハイなど大きな大会になると終盤バテてしまい敗退するのが常だった。

試合を終えてスタンドに上がってくると最上段に座っている梓が見えた。グレーのプルオーバーにジーンズという姿だ。今日は髪を結んでいない。目が合うと小さく拍手をしながら話しかけてきた。
「お疲れ様です!私ルールとかよくわからないんですけど勝ったんでしょう?」
「うん、久しぶりのわりにはうまくいったかな。ここにはどうやって来たの?」
「お母さんに送ってもらいました。」
昨晩梓の母親に“学校の同級生がテニスの試合に出るので見に行きたい”と頼むと、母の美千代は“その同級生は”男か女か”と尋ね、梓が“男性”だと答えると意味深な笑顔を浮かべて“いいよ”と答えた。帰りはその人に送ってもらうの?、とか言っていたけど聞こえないふりをした。
(あの表情はなんだか気に入らなかったけど、クルマを出してもらったしね)

その日のトーナメントを薫は優勝した。準決勝までは1ゲームも落とすことなく、決勝戦で中里に1ゲーム取られただけの完勝だった。
「なんだよ、ブランクがあるから少しはやれるかと思ってたらボコボコじゃないか、勘弁してくれよ」
表彰式の後で中里がぼやいている。
「まあ本来お前が出るような大会でもないしな。ところで、あちらのお嬢さんは誰?」
梓は少し離れたところに立っていたのだが、薫の試合をずっと観戦していたところを見られていたのだろう。
「ああ、僕今福祉の専門学校に通ってるんだけどその同級生。昨日家の近くでばったり会って今日の試合のことを話したら応援に来てくれたんだ」
「え?お前確かK大に行ったよな。なんでまた」
「まあいろいろあってね、叔父が福祉関係の仕事をしてる縁もあってさ。それより...
梓を手招きする。
「こちら同級生の坂木梓さん。こいつはテニス仲間の中里」
「中里正邦です。よろしく」
「坂木梓です、よろしくお願いします」
笑顔の中里に対して梓が硬い表情であいさつをする。
「アズ...坂木さんは人見知りで誰に対しても最初はこんな感じなんだ。笑うとえくぼが出て可愛いんだよ」
薫のジョークに梓が顔を赤くする。
「お前今アズって言いかけたよな、アズちゃんとか呼んでるのか、いいなあ専門学校って、こんなかわいい女の子がいて。オレの職場なんて全員オッサンだぞ」
中里は技術系の公務員になっていた。
中里のボヤキにクスリと笑った梓が駐車場の方を振り向いた。
「それじゃあ母が迎えに来てるんでそろそろ帰ります。今日はお疲れさまでした!」
ペコリと頭を下げて梓は駆け出して行った。クルマは普通の白いセダンで、雷を利用してタイムトラベルをしそうには見えなかった。

「いいなあ、あんな美人が同級生だなんて...あれ?でもお前って...」
中里の表情が不審げなものに変わった。