研修旅行が終わった週末、薫は思い切って梓の自宅を訪ねることにした。怪我の直接的な原因となったのは自分であることは事実なので、お見舞いに行くべきと思ったのだ。
もちろん事前に自宅を訪問することは伝えており、大体の住所も聞いて知っていたので徒歩で当たりをつけたところまで行くと、古風な日本家屋の玄関で梓が立っているのが見えた。白のTシャツにオレンジ色のクロップドパンツというシンプルなスタイルだ。ちなみに薫はきちんとジャケットを着用してきていた。
「アズちゃん!足は大丈夫?出てなくてもよかったのに」
「大した捻挫じゃなくて、もう腫れも引いたので平気です。月齢13日だったから直りが速かったのかも。それよりわざわざお見舞いなんて、すみません」
「いや君は常人のはずだよね。月齢で身体能力が変化するなんてことはないはずだけど」
話しながらも薫は梓に案内されて家の中に入った。。

通されたリビングでは、髪こそ短くしているが梓がそのまま年を重ねたような女性が出迎えた。生成りのシャツにチノパンという親子そろって気取らないファッションが好みのようだ。
「梓の母です。うちのドジ娘が迷惑かけたんでしょうに、家まで来ていただいてごめんなさいね。」
そう言って軽く頭を下げる母親に薫も慌てて叩頭した
「とんでもありません。僕の注意不足でけがをさせてしまって本当にすみませんでした。これ少しですが」
そう言って持参した水羊羹のセットを渡す。
「あらあら、ありがとうございます。嬉しいわ、橋本屋の水菓子なんて!ほら梓、お茶は?」
そう言われた梓が慌ててキッチンに向かっていった。
「じゃあゆっくりしていってくださいな。梓がうちに男の子を呼ぶなんて初めてのことなんですから。それに今うちには誰もいませんし」
よくわからない瞬きのような目の動きを見せて梓の母はそう言い残し、どこかへ出かけて行った。
(今のはウインク?初対面の男と娘を二人きりにするってどうなんだ)

そうしていると梓がよく冷えたアイスティーを運んできてくれた。
「ごめんなさい、お母さんが何か変なこと言いませんでした?」
「いやそんなことないよ。きれいなお母さんだね、アズちゃんにそっくりだ」
「そんなこと...」
梓が顔を赤くしていった。
待て待て、今のきざなセリフはなんだ。お母さんはきれい~梓はお母さんに似ている~梓はきれい、演繹法だ、三段論法だ。
「僕ちょっと花〇くんぽかった?」
「そうですね、〇輪くんぽかったです」
ジョークとして言ったのならそうでもないが、無意識に口から出た言葉は照れくさい。

その後グラスの氷が溶けてなくなりかけるまで、八咫烏の世界で起こる政争の話や使い魔として異世界に召喚されてしまった少年の話で盛り上がった。
「じゃあそろそろお暇しようかな。お母さんは出かけられたんだよね?」
「はい、友達とお茶するからって、すみません」
梓の母は、
「帰りは遅くなるからね。お父さんは出張中だしお兄ちゃんも飲み会って言ってたからきっと遅くなるよ。」
と、ウインクのような瞬きのようなことをしながら梓に告げていた。皆いないからといっていったいどうしろというのか。でも確かにこのまま返してしまうのは惜しいような...
(もっと薫さんと一緒にいたいってこと?わたしが?それって...)
目をそらしていた事実がじわじわと頭の中に浮かび上がってくる。
その時、見送りのために玄関の外まで出た梓は薫がぼうっとした表情でたたずんでいるのに気付いた。その視線の先には庭の片隅に咲いたアジサイがあった。
「薫さん?」
「「ああごめん、ちょっと考え事しちゃって。じゃまた学校で」
我に返った薫はそそくさと手を振って帰ってしまった。
(なんだろう、アジサイがどうかしたのかな?)
マンガなら梓の頭上にクエスチョンマークが出ているところだ。