消灯時間となったが薫、岸本、恭平の三人は他愛もない話に花を咲かせていた。
「オレのいたEマートってさ地元のチェーン店だろ。だから経営陣もほぼ創業者一族で固められてるわけ。」
と、岸本。
「それでオレの直属の上司が常務の息子で、まあ典型的な坊ちゃんの嫌な奴だったんだよ。パワハラに責任転嫁、表ざたにはならなかったけどセクハラの噂もあった。」
「ドラマみたいですね。現実にそんな奴がいるんだ」
恭平がちょっと引いて言った。薫は国産ドラマの必要以上に大げさな演技がどうにも苦手でほとんど見ないのだが、確かにそんなことをする人物が実在するとは想像しがたかった。
「以前の上司は面倒見のいい頼れる人だったんだけどなあ、そいつが来てから3年耐えた自分を褒めてやりたいよ。」
「10倍返しだ!とかやんなかったんですか」
「できるか!」
退職と職業訓練で学校が始まるタイミングが合ったことも入学の一因となったことは、岸本から薫も聞いていた。人手不足の業界だから就職もしやすいだろうという打算ももちろんあったようだ。一度社会人を経験した者がこの学校に入ってくる理由は、社会貢献したい、というものだけではないだろう。

「就職後の給料は推して知るべしだけど、資格を取ったりキャリアアップしていけばまあ人並みに暮らせるんじゃないかな」
「今の人生設計って共働き前提みたいなところありますよね」
そう言う薫に岸本がため息をつきながら答える。
「このままいけば彼女と結婚すると思うんだけど、まあ専業主婦は無理だろうなあ」
「薫さんって付き合ってる人とかいないんですか?」
恭平が急に話題を変えた。
「いないよ、そんな話したことないだろ」
「過去には?」
「そりゃあ30歳で魔法使いにならない程度には」
「お前みたいに高身長高学歴で見た目も悪くないとくればウイザードにクラスチェンジする心配はないだろうさ」
薫は身長が180cm近くあり顔はイケメンというわけではないが親しみやすい風貌といえる。

「あのさ薫君」
岸本が急に改まって言った。
「さらっと流してたけど本当はこの学校に来た理由がなにかあるんだろ?もしよかったらオレたちだけに教えてくれないか?K大まで出て就職してたのにいきなり福祉の専門学校って、普通はないよな」
「はい、実は社長の娘に手を出したのがバレてクビに」
「そういうのいいから」
「すみません。別に隠そうとしてたわけじゃないんですけど、自分から進んで話すことでもないかと思って。でも今日はいい機会かな」
薫はペットボトルのウーロン茶を一口飲むと遠くを見るように静かに語り始めた。

30分後。

「なるほどなあ、オレなんかよりよっぽど立派な入学理由だが、確かに人にぺらぺら話すことでもないよな」
「薫さん、オレなんて言ったらいいか...」
「いやいやもう吹っ切れたんだし、あんまり気を使われると居心地悪いからこれまで通りで頼むよ」
「分かった。お前が話したいと思う人以外にはオレたちからこの話が漏れることは絶対にないから」
「ハハハ、そんなに秘密にするようなことでもないんですけど、聞かされた人はいたたまれない気持ちになるだろうから、まあその方向で」
もう吹っ切れた、と二人には言ったが、何もしていないときなどにはどうしても考えてしまう。あくまで普通に日常生活が送れるようになったというだけなのだ。だが二人に話したことで気持ちが少しだけ軽くなったことは確かだった。