連休明けに二度目の席替があり、薫は真ん中の列最後尾の左側、隣には下田幸恵が座った。恭平情報によると32歳独身だそうだ。いつもセンスのいい服装をしていて知的な美人と言っていいだろう。ただ若干Sッ気があるみたいでそのツッコミはなかなか鋭いものがある。
5月ともなるとある程度授業も進んでいる。その日の一限目は身体の老化についてのもので、看護師の資格を持つ根岸という教員は授業の初めにいつもの小テストを行った。

「は~い、じゃあ隣の人と交換して答え合わせをします」
薫は下田と回答用紙を交換して教員が読み上げる答えに従ってマルバツをつけていく。
解答用紙が本人に戻ったところで教員の根岸愛子が尋ねる。
「全問成果のひとはいますか~?」
彼女は毎回テストの後にこの質問をする。特に他意はないらしいのだが。全問合っていたので薫は手を挙げた。一人だけのようだった。

「お~!」
教室内に拍手が起こる。照れくさいのでこの儀式は止めてほしい。それに根岸先生、首をかしげるのはやめてください。全問正解できないと思ってたのに、と顔に書いてありますよ。僕はあなたと勝負してるつもりはありません。
「薫君って毎日勉強してんの?」
下田幸恵が尋ねるので
「いや~勉強なんて全然してないですよ」
すごい棒読みで言ってみた。
「わざとらしい厨2病のセリフはやめて」
「根岸先生、次はここから出しま~すっていつも宣言するじゃないですか。その部分は一応読んできますよ」
「それだけで毎回満点?」
下田の眼差しは疑惑に満ちている。

嘘じゃないんだけどな、と薫は苦笑する。
ずっとテニスに打ち込んできた薫には当然のことながら学習時間が不足していた。だが生来の性格なのか、自分が理解できないものがあるという事を受け入れるのがどうしても耐えられず、短い勉強時間に恐ろしいほどの集中力を発揮して県内有数の進学校であるH高でも、なんとか成績上位をキープしていた。
まあその方法論は、学習というより“いかにしてテストで高得点を取るか”という点に特化した、いささかいびつなものだったのだが。

(僕って研究者とかにはなれないよな)
薫もその点は自覚していたが、テニスと学業成績という二兎を追うためには仕方がなかったのである。
高3の時にはいくつかの私大からテニス特待生として勧誘があったが、薫は一般受験で難関私大のK大に合格した。多少は運もよかったのだが、高3の八月から数か月は妹の渚曰く“憑りつかれたような顔で”集中力を発揮して受験対策に取り組んだ成果だった。そういえばあの時期、渚はあまり僕に近づかなかったな。気持ち悪かったんだろう。
夜中に腹が減って冷蔵庫をあさっていたのを見られたときは、「ひっ!」と小さな悲鳴を上げていた。

専門学校の授業内容はそんな薫にとってさほど難しいものではなく、一度教科書を読み返す程度で難なく内容を理解・記憶することができた。
拍手を受けて大げさに両手を挙げて見せる薫を、右斜め前の席に座った梓が何か言いたげに見ていたがやがてすっと前を向いた。