(いや、天を恨めしく思う理由など無い)
通盛は考えた。
考えるまでもなく──重盛が病気がちになったのは、彼の父と法皇のせいだ。
平家打倒を目論んだ“鹿ケ谷の陰謀”においては、清盛はその陰謀を企んだ者を数多く処罰した。
後白河法皇がその黒幕であったのは自明であったが、確たる証拠を提示できるわけでもない上、さすがに法皇を処罰できない。
清盛と後白河法皇の対立は避けられなかった。
その対立の間に立ち、調整役に努めたのが重盛である。
彼は父を思う心と、忠臣であろうとする心とで葛藤し、精神を擦り減らしながらも、ようやく両者の対立関係は緩和された。
だが、陰謀に関わった者たちはほとんどが処分を受けた。処刑された者たちの中には、重盛の妻の兄も含まれていて、妊娠中であった妻は心を病んでしまった。
それは、重盛に己の無力さを思い知らせたことだろう。
──そして、彼も心を病んだ。

